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書評:『超心理学―封印された超常現象の科学』(著:石川幹人/2012)

評者:ワカシム(若島 利和)


  本書を読む前に、自分が超心理現象をどう思っているのかということや、超心理学そのものに対してどう認識しているのかを自覚し、それが誤った先入観である可能性を念頭において読むことをお勧めしたい。

この分野に向き合う場合、確固足る結論が容易に得られない不安定で居心地の悪い足場に立つという面倒な態度を維持し、批判的な思考方法を意識的に自分に課すくらいの覚悟がないと、容易に安直な肯定や安直な否定の結論に飛びついてしまいがちだからである。(これは何事においてもクリティカルシンキングは必要だという以上の意味である)

本書でも立ち位置の問題に通じる話が散発的に言及されているが、いかんせん地味な話であり、人に言われて得心する類のことでもないので著者の苦労が伺える。

現実に、超心理学に興味がある人々のなかには、イアン・スティーブンソン博士がわざわざ「この事例研究から生まれ変わりの実在を安易に信じないで欲しい」という警句を発しようが、統計的に有意とされる程度のESPの実験結果であろうが「科学的に死後生存や超能力が実証されたのだ」とする暴走(ばくそう)キッズ化し、迷惑な「支持」をしたり、逆に「超心理学者とは統計的に有意とされる程度の微小な実験結果から、スプーン曲げのような超能力の存在を主張しようとするバカの集まり」として嘲笑したがる勘違い否定論者まで、研究の健全性を損なうリアクションと誤解に曝されてきた歴史がある。

しかしながら、超心理学会のPA( Parapsychological Association /『サイエンス』誌の発行母体であるAAASにも加盟している科学的に認めれた研究団体)ですら、超心理学が扱う現象について・・・

 @精神がこれまでに知られていない方法で情報を伝達する現象「ESP」
 A精神が'物質と相互作用するかもしれないとする「mind-matter interaction
  (かつてはサイコキネシス=PKと呼ばれた)
 B「死後存続問題」(霊魂仮説、臨死体験、生まれ変わり等)

ということで、大きく三種類あるとするが、いずれも「科学的アノマリー(既存の知識体系からはみ出す異常な現象)」として扱っていること、超心理学者のなかでも、それらが既存のパラダイムでは説明できないとする立場から、既存の知識体系と基本的に整合するという懐疑的な立場まで多様だと説明している。

こうした立場は本書でも踏襲されており

「(ビリーバーに困るという文脈で)…超心理学者は肯定論者だと誤解される向きがあるが〜ESPの存在はデータにもとづいて「ありそうだ」という段階にあるが、ほかの三つはそうではない。

それをいっしょくたに「げんに存在するもの」とされてしまうと、それは超心理学の意義を認めていないに等しい」 pp83-84

として強調されていることでもある。そのため暴走キッズ(本書では「ビリーバー/かたくなな肯定論者」)も勘違い否定論者(本書では「懐疑論者/かたくなな否定論者」)も批判されており、その理由も説明されている。

こうした問題については、三章のみならず、終章のp323の図や議論によっても分析されており、本書における重要なテーマの一つでもあり、それなりの紙幅が費やされているし、本書から知識を得るための大前提にもなっていることを理解しておきたい。

そうでないと、少し踏み込んだ議論の第8章〜第10章について、必要以上に強い主張だと思い込み過度な非難をしてしまったり、逆に過度な信頼をしてしまうというリスクがあるからである。

 さて、かくいう私はというと、懐疑論者であり、本書で批判のやり玉に挙げられる懐疑論者側の陣営に属する者である。(ただし「かたくなな否定論者」として批判される陣営とは距離を取り、本書pp290-295で説明される健全な懐疑論の立場に属する姿勢でこの問題に向き合ってきた)

そういうわけで、第三章の懐疑論者の文献を批判する項目は重要な問題でもあるのだが、これは以前から著者の石川氏が指摘していたので、私も個人的にそうしたお話を伺ってから調べ出し、数年前に著者の主張を追認していた事項でもある。

少なくとも『ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの』や『人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか』といった良書のなかで、超心理学批判の部分がアンフェアであることや、『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス』のJ・Bライン批判がもはやビリーバーと同水準であるということは事実である。

ということで、残念ながら本書のこうした指摘は正しいということを認めざるを得ないし、こうした欠陥は当該文献の価値を少し減じてしまうことも否めない。

ただし、そのような事態の背景については立場によらず少し知って欲しいと思うことがある。そもそも実験超理心理学と懐疑論者(心理学者や哲学者や物理学者や奇術師や一般人を含む)を中心とした論争の歴史は、すでに80年ほど経過している。

これらの論争史を公平に評価すると、残念ながら懐疑論者側の議論の質は総じてアンフェアであり、しばしばヒステリックであった。そうでないものも当然あるが、これは1932年〜1980年あたりまでの超心理学をめぐる論争、論文、論説、誌上討論、公開済みの研究者の私信まで、百数十本以上の記事や文献を精査してきた懐疑論者としての結論であり、ただの議論として評価した場合は、悔しいが懐疑論者側が負けていると判断せざるを得なかったのだ。

ただし、科学的成果、自然の世界で生じる現象についての解釈という本質的な問題では、後知恵ではあるが、しばしばヒステリックで非合理であろうとも懐疑論者の方が正しそうだし、有利だというのが、現状での公平な見方であろうとも思っている。※議論としては負けていても結論は妥当だったということもあり得るのだ。

また、意外と知らない人が多く、本書でもフォローされていないが、1930年代〜1974年頃までは(知的な一般人+アカデミズム)という枠で、しばしば超心理学側が勝利をおさめつつあるとされた空気があったりなかったりを繰り返していたのである。

これは複数の資料から裏付けがとれることである。

そうした状況から、超心理学の研究が過大評価されることが問題だと考えた一部の心理学者や物理学者の態度は、学問的議論とは思えないほどヒステリックで侮辱的であったが、歴史的にそういう背景もあったのだということは考慮して欲しいと思う。そして懐疑的な批判がお粗末でも、超心理現象が肯定されるわけではないことも忘れてはならない。
(なお論争史の資料は『サイの戦場―超心理学論争全史』に両陣営の貴重な論文等が日本語で収録されており、これを精査するだけでも当時の雰囲気を知るための情報が幅広く得られる。その他アンフェアな批判は『ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか』でも取り上げられているが、こちらはアカデミズムが理不尽な対応をしていることは示しているが、超心理学が外部から「ちやほやされていた」という時代の空気を見出すことはできない)

要するに、第三章の文献批判は正しいのだけど、こうした論調の背景には、かつて超心理学に吹いていた追い風が強かったという時代の影が、著者らの念頭にあった可能性を考慮して欲しいと思うのである。もちろん、それは免罪符というよりは、論争の歴史を理解するために、という意味である。

ついでに言えば、未だにその頃のヒステリックで性急な論調を無非難に踏襲する否定論者は非難されるべきであるが、懐疑論者からも、そうした態度を批判する議論が普通に出ていることは強調しておきたい。故人ではセーガンやトルッツィ、存命中ではドーキンス等が代表的でフェアな懐疑論を発言している。

さて、第三章といえばp85「かたくなな否定論者」の項で、便宜的な定義(特徴付け)として@〜Bが示されているが、Bの特徴をハイマンに関連づけるのは行き過ぎだと思う。

というのも、フェアな懐疑論者であっても、やはりガンツフェルトを始め、現在までに得られた知見については「原因が判らないこと、懐疑的な理論では説明できそうにないこと」までは認め得るにしても、PSIに準ずる現象の実在を結論するには「何かが決定的に足りない」というのが素朴な結論になると思うからである。私は、少なくとも、そういう判断に至るのは不健全だとは思わないし、むしろ健全だと思っている。

たとえば、ガンツフェルト実験で、直接的に映像を受信したという現象が大量にあるなら話なら別だが、あくまで「的中」した確率が偶然より少し高いという話であって、それは「マクロな世界で確率的な現象とされる出来事に対する精神の干渉」という可能性を示唆するとは思うが、それ以上のことは起きていないと思うからである。(この点について、以前著者に質問したときは、ガンツフェルト実験には「ダイレクトヒット」の実例もあるにはあるが…ということであった。それが頻繁に観察できるなら面白いが、実際はそういうことにはなっていないようだ)

また、そうした解釈はBのような既存の物理的世界観を絶対視していることにもならないはずである。このことはP319の菊池誠の立場(要は費用対効果を含め研究対象として魅力がない)ということと本質的には同根だと思われる。

さらに、この観点は、本書が説明する「封印」についての議論にも適用できる。

本書における超心理学に対するアンフェアな扱いや、おかしな肯定論者や否定論者の存在、マスメディアの姿勢などなどなどの分析は、全肯定こそしないが、総じて妥当だと思う。だが、それらは「封印」という表現が妥当な何かを説明するとは思わない。

あえて「封印」という表現を使うならば、超心理学が封印される最大の理由は、それらの分析が示す社会構造や人間の認知機能の傾向や科学社会学的な問題ではなく、実験結果が「重大な何かを検出していると判断するには非常に重要な何かが欠けている」ということが最大の原因であるはずだ。

何が欠けているのかといえば「現象を汲み込む了解可能な物理理論」か「より決定的な現象」だと思う。このうち理論的な問題は本書でも触れられてはいる。

とりわけ理論面では、ノーベル物理学賞受賞者の天才ブライアン・ジョセフソンが参入して久しいが、かつて期待された「量子力学とPSI現象を整合させるような定量的な理論」の発見には未だに繋がる気配も見えてこない。もっとも、超心理現象とされている事象が実在するならば、これは将来的に解決される可能性がある問題であり、未来が暗いということは意味しない。一方で、そういった現象が本当は存在しないならば、現状以上の評価を得るのは難しいままであろう。

要するに、全てはこの自然界に人間の精神現象が媒介する情報の伝達を含む物理現象が本当に存在するかしないかに全てが依存している。

私の個人的な直観は「たぶん存在しない」というものであるが、私が間違えてる可能性は常に受け入れてもいるため、実験超心理学の研究は無責任な立場から続いて欲しいと願うものである。

ともあれ「封印」という認識には全面的な賛同はしないが、第二章pp72-74の「NRCレポート」の顛末は例外である。

まず、ここに登場する「ローゼンタール」は、あの有名な心理学者ローゼンタールであり、別人ではない。またジェシカ・アッツに口止めがあったという話(p74)を含め、超心理学に対する陰謀論めいた攻撃があったという話は、驚きかもしれないが事実である。

かくいう私は、この話を初めて知ったときは信じられず、熱心に調べた結果、意に反してこれを追認することになり、びっくりしたことを覚えている。この件の概要は『心の科学 戻ってきたハープ』(及びその脚注)にやや詳しくあり、本書でもp79の*25や*26の論文に詳しいので興味がある向きは追跡調査されたい。

もっとも、NRC報告の問題は、科学的な議論されるべき問題が、科学社会の科学的でない感情や政治的な理由が動機になっているせいで「変に見えるし、実際に変なことになっている」という話であって、別に何か重要な陰謀があるという話ではないが、まさに著者のいう「封印」にぴったりと当てはまる事例である。

なお、本書でも言及のあるCIAの超能力研究「スターゲイト計画」の幕引きに関する理不尽な出来事は、アメリカ空軍がUFO調査を止めたがっていたときに口実として『コンドン報告』を使ったのと同じで、CIAが超能力研究を止める口実として「NRCレポート」を使ったというのが妥当な見方であろう。予算を貰って開始したはいいが、内心でウンザリしているのに計画を中止するには妥当な理由が必要という場合には、こういうことも起きてしまうのだと推察される。

と、話がそれたが、要するに、本書を通じて言えることは、否定的な側は、超心理学が示す実験結果がPSI現象の類だとすることについて「棄却はしない」が「不採用」であるという立場までが妥当な範囲の下限であり、具体的な根拠もなく「不正の余地があった」というような論調や、古いヒステリックな議論を無批判に採用する否定ビリーバー的な議論は不健全だとする解釈が得られると思う。

同時に、肯定的な側では「未知の異常現象かもしれない何かを検出している可能性が高いのでは」というところまでが妥当であって、それ以上に強い結論を支持するのは注意が必要であろう。これは肯定否定どちら寄りであっても傍観者の立場としての話。

肯定的な信念を持つ研究者の方には自分の人生を犠牲にするリスクを負ってでも、信念に従って超心理学の地平を限界まで広げることに挑戦して欲しい。私は恐らく超心理現象の実在を示し研究できるような状況にいたる可能性は低いのだろうと思うが、科学的な方法に準拠したこの分野の研究そのものは応援するものである。(だが私は結局のところ超心理現象は実在しないと感じているので無責任な立場からだということは繰り返しお断りせねばならない)

 最後にあまり本質的ではないし誰も気がついていないと思う疑問点について、自己解決したので補足しておきたい。

本書のp90で『ESP60』について実験を厳密化しても高い的中率を挙げているとある。だが、p271の下降効果の説明にある*27では、シュタインカンプの論文が参照されているのだが、シュタインカンプの当該論文は『ESP60』に対するメタ分析が中心であり、こちらでは下降効果が統計的に確認されたとある。

これは矛盾しているのではないかと思った。

が、どうやら、哲学者のシュタインカンプはESPカードの実験について、最高水準の厳密性という条件を設定し、『ESP60』が扱う188の実験から、条件に合致する最高水準の実験(45件)を抽出し、改めて解析した結果、実験環境が厳密になるほど下降効果とされる傾向が検出され、同時に統計的に有意(偶然比で1/365兆)な「偏り」も残ったという結果を得たという話であり、矛盾ではなかった。※p<1/365兆、というのは凄いが、それはあくまで「(微小な偏りが)偶然ではない確率」という意味合が強く、現象をどう評価するかは別の問題である。

なお懐疑論者ならぬ「かたくなな否定論者」が「下降効果」の意味を早合点し反証不能な仮説として非難することがあるが、本書が説明するように「下降効果」は(その是非を別に)少なくとも後合理化やその場しのぎ仮説の類ではなく、「10円玉を投げて表が10回続いた後に、裏が頻繁に出るようになった」という地味ながら確率論的にはあり得ない現象がバイアスの類では説明できない精度で検出されているという話であり、反証不能な仮説とは異なる。

また、それがお蔵入り問題(出版バイアス)が生じている証拠ではないかと長いこと指摘されてきたが、漏斗分布を描く統計学の計算式を使うことで、効果を相殺するために必要なお蔵入り実験の件数を算出することができ、本書が参考にした論文が分析した『ESP60』の188件の実験(さらに厳密な45件)について、お蔵入り問題は合理的な水準で棄却されているようだ。

 



 

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