実のところ、レミングの死の行進がどうこうの前に、そもそも、レミングサイクルについてすら、生態学者にとって明解な説明が用意できていたわけではなかった。つまり、エルトン以降、80年の伝統を誇る未解明問題だったのである。
特に問題だったのは、レミングの場合、総個体数の変動など生態学的な研究の基本となるような調査を、高い精度でおこなうことが困難だったという事情があり、良いアプローチがなったこと。
厳密な調査が困難だった理由は、レミングの短い寿命と、高い繁殖力、複数の捕食種の存在とがあいまって、レミングの総個体数が1シーズンで大幅に変わってしまう不安定さにあった*1。
レミング族は四属二十種と、種類も多いが、実は捕食種も多い。論文や各種コメントで名前が出てくる主要な捕食種と一部の敵対者は、これだけいる。
シロフクロウ(学名:Bubo scandiacus,学名: Stercorarius
pomarinus,英:Snowy Owl)
コミミズク(学名:Asio flammeus,英:Short-eared Owl)
トウゾクカモメ (英名: Pomarine Jaeger)
シロハラトウゾクカモメ(学名:Stercorarius longicaudus,英:Long-tailed skua)
カモメ科の数種(Larus spp)*2
シロハヤブサ(学名:Falco rusticolus,英:Gyrfalcon)
オコジョ(学名:Mustelaerminea,英語:erminea,stoat) ※夏毛の場合は「stoat」と呼ばれる。
アカギツネ(学名:Vulpes vulpes,英:Red Fox)
ホッキョクギツネ(学名:Alopex lagopus,英語:Arctic Fox)
オオカミ(Canis lupus,英:wolves)
イイズナ(学名:Mustela
nivalis,英:Least Weasel)
クズリ(学名:Gulo gulo,英:Wolverine)
ホッキョクグマ(学名:Ursus maritimus,英:polar bear)
イヌイットノガキンチョ(学名:Homo sapiens 英:human)
ディズニースタッフ(学名:Homo sapiens 英:human)
・・・etc
なんと表現すれば良いか、小動物でうじゃうじゃ増えるレミングは、美味しいやられキャラにして、生まれながらの「エサ」であり、運が悪いと、子供にとっつかまって、ディズニーのお兄さんに売られたり、カナダの内陸部で虐殺されたりするわけである。
そのため、状況の把握が非常に難しく、決着は大変な作業であった。
しかし、2003年に、フィンランドとドイツの合同チームによる、15年に渡るグリーンランドでの調査の集大成的論文が『Science』誌に発表され、この1世紀近いレミングサイクルのミステリーが(グリーンランドのケースのみとはいえ)応用可能な水準で解明されたのである。
その論文がこれである。
『Cyclic dynamics in a simple vertebrate predator-prey community』
Olivier Gilg, Ilkka Hanski & Beno Sittle*4
この画期的な論文によると、15年に及ぶ調査の結果、グリーンランドにおけるレミングサイクルは、数学的なモデルの予測と一致し、ある捕食種が極めて重要な役割を果たすことで個体数が調整され、うまい具合に生じていることが確認できたという。
そのレミングの個体数を調整する、重要な捕食種とはいったい誰なのか?
レミングサイクルを裏から支配する犯人の正体は!?
…それはオコジョであった!
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犯人のオコジョさん |
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レミングとオコジョ、個体数の連動を示すグラフ |

学名:Mustela erminea |
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和名:オコジョ
英名1:stoat(夏毛)
英名2:ermine(冬毛)
哺乳綱、食肉目、イタチ科
通名は二つあるが、夏毛と冬毛で分かれており、同じ生物である。
ざっと検索した限りでは厳密には区別されていない。 |
うーん、むむむ。見るからに凶悪そう、、、とは言い難いがたい…というか、レミングと同じくらいかわいい犯人であった。たしかに右表の個体数の連動ぶりは見事である。
ともあれ、15年に及ぶフィンランドとドイツの合同チームによる調査の結果、レミングサイクルは、このカワイコちゃんを中心とする食物連鎖の結果だったという結論に達したのである。
まあ、凶悪そうな犯人がわかったところで、引き続きサイクルの仕組みについて説明しよう。
少し込み入った話になるが、お許しいただきたい。
まず、レミングサイクルそのものは、確認されている事実である。グリーンランドの場合、レミングにとっての天敵である捕食種は、オコジョ、ホッキョクギツネ、シロフクロウ、シロハラトウゾクカモメと、4種類ほど確認されている。
この連中は、ことのほかレミングをパクパクお召し上がりになるようで、4種とも活発な夏場をピークに、レミングの個体数は一定のラインに抑えられているそうだ。
それが雪の季節になると、レミングを狙うのはオコジョのみになる。そのため、レミングが大繁殖する機会というのは、地表が厚い雪に覆われた冬場だけになる。
レミングは、見た目がいかに可愛いとはいえ「ネズミ」なので、冬場だけだろうが、ネズミ算…とまではいかなくとも、かなりの速度で増えていき、絶滅は間逃れている。
そういった事情から、冬場におけるオコジョの活躍ぶりが、冬があけてからのレミングの個体数を決定することになっているとのことである。
当然、それは他の3種の捕食種のエサの量に影響するため、この3種の個体数にも影響し、必然的に夏のレミングの個体数にも影響し、という連鎖が成立しているわけだ。
こういった自然界に自発的に存在してきた個体数の調整作用は、食物連鎖としてお馴染みの現象であるから、これだけであれば、まだそれほど重要な発見ではない。
事実、これまでも、レミングサイクルの解決として、もっとも一般的な認識は食物連鎖であった。
今回、グリーンランドで観察されたレミングサイクル解明のキモは、なんといってもレミングの個体数の激増激減が、驚くほどきっちりとした4年周期になっており、規則正しい周期性の原因が、冬のオコジョの活躍ぶりであるということが、納得のいく数学的モデルによって説明できたというところにある。
Olivier Gilgは、グリーンランドでの研究結果を、(ローカルな要素があるため)そのまま各地のレミングに持ち越して適用することはできないが、としつつも、応用(あるいは一般化 )することは可能であり、そのほかの地域でのレミングサイクルの仕組みも、同じくらいの精度で解明できるのではないかと期待している。
たしかに、超天敵と主要な捕食種の存在のみで、異常な個体数の周期的な増減(レミングサイクル)が生じることが実証できたという事実は大きい。
なぜなら、太陽黒点だの、病原菌だの、人口抑制のための死の大行進など、余計な仮定を必要とせずに、レミングサイクルが起きることが確認できたからである。
そういうわけだが、ここで重要な指摘をせねばならない。
それは、15年にも渡ってレミングを観察してきたフィンランド・ドイツの合同チームですら、レミングの集団自殺どころか大移動さえ目撃していないということだ。