レミングの集団自殺神話
Lemming Suicide Myth

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第四章 集団自殺神話の普及過程 (The spread of myths)



   4-@.生態学での流れ (Context of Ecology )

 ノルウェーレミングといえば死の行進・集団自殺ということが、人々のなかでお約束になった時期は、遅くとも1850年頃であった。では、1850年以降、この話が近代に伝播する過程を検証してみようではないか。

まず、私が調べた限り、レミングの集団自殺神話が流通する過程には、ふたつの流れがある。

ひとつは、民話伝承の類にはじまり、逸話的に語られていく一般人を中心とした流れである。

もうひとつは、博物学にはじまり、個体群生態学などにいたる学術研究の流れである。

そのため、19世紀から20世紀前半に、レミングの集団自殺が認知され、発展していく状況を、この大きな二つの流れにわけて解説し、いかにして融合するのかを見てみよう。

そもそも、レミングの大発生や死の行進は、古くから知られてきたわけだが、それにもかかわらず生態学の研究対象として扱われるには、長い時間が必要であった。

なぜなら、レミングサイクルを研究するためには、現代の個体群生態学に連なる研究方法の確立が必要だったからである。

そして、それを可能にした功績は19世紀ノルウェーの動物学者ロバート・コレット(Robert Collett)らの調査や、それを現代的な生態学の問題に昇華させたチャールズ・エルトン(Charles Elton)の研究に帰する
*1。とりわけ、チャールズ・エルトン(Charles Elton)の論文が、以降80年以上にわたり、生態学に支配的な影響を与えていくのは、第二章Cで論じたとおりである。

こうした初期の研究が、後の研究にどれほどの影響を与えたかというと「1924年のエルトン論文が、後の個体群生態学に与えた影響」をテーマにした学術論文さえある
*2ほどで、恐れ入る。

こうした、生態学の黎明期、レミングサイクルが注目され、必然的に、レミングの死の行進なども学術論文で言及されることになるのである。

エルトン以外にも、たとえば、1926年に、ロスマン(Earl Rossman)が、アラスカのレミングが最後に大移動したのは1888年である、という報告
*3をしている。(しかし現在の知見ではノルウェーレミングでさえ100年に3回移動するかしないかという程度、アラスカ、グリ−ンランドでの大移動はノルウェーレミングほど特徴的な現象だとは確認されていない)

また、1887年『Popular Science Monthly』という一般向けの科学記事を読むと、レミングの大発生と西に向かう大移動、海に飛び込む自殺的な行進、溺死するレミングについての話が出ており、こちらは、学術的知見と民間伝承の中間レベルの記事であった。

こうした19世紀の段階では、間引きによる自発的な集団自殺という説には言及がないが、ノルウェーレミングの死の行進は事実とされている。また、後のエルトンによる論文も含めると、無作為な分断された集団移動としての死の行進は、実在性が肯定されている。

ともあれ、確立された生態学という意味での学術論文のなかで、レミングの死の行進という現象に言及があるのは、エルトンら20世紀初頭の論文になる。

まず、これが、レミングの挙動に関して認知されていく学術的な方面での流れだ。もし、レミングに関する説明が、この流れにだけあるのであれば、レミングの集団自殺が注目を受けることは、さほどではなかったのかもしれない。

そのため、レミングの死の行進が広く認知される過程には、学術的な研究とは異なった流れによる普及が不可欠であった。


4-A.超古代文明レミング (Context of folklore)

 第三章@で取り上げた、1854年出版『Scandinavian Adventures』にある記述から、レミングの死の行進が、この当時、すでに地元で有名だったことが確認できた。

ただし、それが「魔法の笛」(第三章A)のような完全形として、一般大衆に大きく知られるようになる時期は、1930年代の「ムー大陸」の大ブームと前後する時期で、「アトランティス」の人気とともに広まった可能性が高い。

いきなり超古代文明かよ!と、ずっこけそうな方もおられるかもしれない。

なので、ちょっと説明しておこう。

ノルウェーレミングの死の行進を説明する風説の一つに「アトランティスへの帰巣本能」という説がある。これは、要するにレミングが海へ飛び込む理由が、渡り鳥やヌーの大移動のように、本能による動物の集団移動であるとし、かつて大西洋にあったアトランティス大陸に向かうつもりで、ずんずん進んでいるという解釈である。

サーメ人の「魔法の笛」でノルウェーレミングが西へ西へと突き進む話だったことを思い出そう。

この解釈が決定的に有名になる時代はチャーチ・ワードがムー大陸の証拠をでっち上げた1930年前後
*4(つまり失われた大陸と超古代文明論の人気がアトランティスと二大巨頭としてピークの人気を誇った頃)に重なる。

アトランティスへの帰巣本能説の初出は意外と古く興味深い。

一般に、疑似科学的なアトラティスの物語は、1882年に、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー(Ignatius Loyola Donnelly) が、著書『アトランティス―大洪水前の世界』(Atlantis, the Antediluvian World)を発表したことによって掘り起こされ、謎の大陸伝説として一大ブームとなり、更にオカルトと結びつくことで多くの派生研究を生んだ。

そして、ブラバツキー夫人*5の影響を受けている神智学者ウィリアム・エリオット (William Elliot,英)が『The Story of Atlantis: A Geographical, Historical and Ethnological Sketch』を1892年に出版し、アトランティスといえば超技術の超古代文明だ、という「とんでも」のエキスを、たっぷりと注入した枠組みが完成してしまう。

ただし、この両者の著作には、レミングについての記述はない。

レミングとアトランティスを結びつけた話の初出は、厳密には分からない。だが、1887年『Popular Science Monthly』 (Volume 11, The Norwegian Lemming and its Migrations)
*6という一般向けの科学記事で、ノルウェーレミングが西に突き進む現象をとりあげているのだが、そのなかで、死の行進が起きる仕組みとして、かつて西に大陸があり、豊富な餌を求めて移住する本能に導かれた結果、海に落ちるのではないかという解釈が提示されている。

そして、それを、ブラバツキー夫人が1888年に出版した『THE SECRET DOCTRINE』の2巻で取上げ、オカルト分野で広まったようである。


4-B. 融合―そして伝説へ― (The Fusion) 

 レミングの死の行進と、それに対する解釈の問題は、19世紀中頃までには有名な民間伝承になっており、20世紀に生態学が確立されていくまでの間に、学術的関心と、オカルト・疑似科学的関心という両方に結びついた状態で、世の中に知られていくようになったわけである。

こうした、1920年から1942年は特別な時代でもあった。

1919年に、アインシュタインの一般相対性理論の予言が、エディントン卿の日食観測隊によって確認され、1922年には、海外に劣らず日本でも熱狂的なアインシュタイフィーバーが起き、1923年には、科学の情報を一般に伝える重要な媒体であり続ける『Time』(米タイム誌)が創刊された。

1925年ハイゼンベルグの行列力学、1926年シュレディンガーによる波動力学によって、量子力学が成立していく。この華々しい科学の時代、博物学は生態学になり、チャールズ・エルトンによって、個体群生態学と群集生態学が確立されていく。

1933年には『News Week』が創刊し、たびたび科学者へのインタービューや、新しい情報を記事にするようになり、1938年4月4日の号では、アインシュタインとインフェルトによる『物理学はいかに創られたか』の出版を受け、アインシュタインが表紙を飾っている。

1940年には、多くの物理学者が若き日に影響を受けたという、『不思議宇宙のトムキンス』(Mr. Tompkins in Wonderlannd ,ジョージ・ガモフ著)が、ケンブリッジ大学出版局から出版された。

他にも、1929年の世界大恐慌を挟んだとは思えないほど、重要な発見が相次いだ時代なのだ。

その一方で、心霊主義ブームは最盛期を過ぎようとしているが、1925年には進化論と創造論をめぐるスコープス裁判があったかと思えば、超心理学が台頭し、ドネリーに始まるアトランティスなど、失われた超大陸も人気を誇って久しく、1930年には、平行してムー大陸も大ブレイクする。

そういった非合理文化の礎を固めた時代でもある。とくに、1970年代の世界的オカルトブームを可能とした、疑似科学オカルト分野の商業的な方針や知識、潜在的な読者層をせっせと生み出していた時代でもあるのだ。

そうした時代の気分のなか、少なくとも1927年には、レミングの集団自殺神話が、アトランティスと結びついた話として、大衆のなかで認知されていた
*7ようである。

それ以降も、レミングについての科学的な理解と逸話的な理解が、典型的なレミングの集団自殺神話として融合していった形跡が、1942年8月3日月曜発売の『Time』誌の記事から伺える。

この1942年の『time』誌に掲載された「Millions & Millions of Mice」(数100万と何百万ものマウス)という記事では、自然界でもっとも奇妙な現象のひとつ「レミングサイクル」について、エルトンがコメントしている。

どうやら、出版されたばかりの自著『Voles,Mice and Lemmings』 (Charles Elton, Nicholson, 1942 Oxford University Press)の宣伝を兼ねているようだ。この記事からは、1942年当時、大発生したレミングが集団で海に飛び込む現象といえば、アトランティスのヨタ話に付随する話「アトランティスへの本能的な憧れ」(death is an instinctive longing for their former home in the sunken continent of Atlantis)として、一般に広まっていたことが確認できる。

エルトンは「レミングは、バルト海にも、北にも東にも行くこと」や、「レミングたちの個体数が増え、過密状態による食物が不足することで、どこか新しい餌場を求めて移動する」という説明を強調している。また、レミングは泳ぎが達者であることも災いし、海がどれくらい巨大かについて知らないせいで、飛び込んで死ぬこともあろうと主張し 、アトランティス説を却下している。

こうして、ノルウェーレミングの死の行進については、エルトンの説明と、アトランティス説によって、原因の解釈はさておき、現象そのものは事実として認識されていったのである。

そして、この1942年には、レミングの集団自殺を扱った短編『Interview with a Lemming』 (James Thurber,1942)が登場している。

この短編には「君たちはなぜ集団で海に飛び込んだりするのかね?」という問いかけに対し、レミングが「なぜ君たちはそれをしないのかね?」と返す場面がある。

ここで一旦、20世紀以降、レミングの集団自殺神話に関連する出版物を整理してみよう。

 1924年『Periodic Fluctuations in the Numbers of Animals』 論文:Charles Elton
 1927年『Animal Ecology』 論文:Charles Elton
 1942年『Interview with a Lemming』 短編小説:James Thurber
      『Voles,Mice and Lemmings』 学術書:Elton,Nicholson
      「Millions & Millions of Mice」 雑誌記事:『Time』 Monday, Aug. 03, 1942

 1953年『The Possessed』 短編小説:Arthur Charles Clarke
 1954年『National Geographic』の記事:未発見
 1955年『The Lemming with the Locket』 マンガ:Carl Barks
 1957年『Lemmings』 短編小説:Richard Burton Matheson

このような記事に加え、アトランティス関係の一般向け書籍などでも広まっていたことが伺える。

もちろん、スカンディナビア半島や北欧の旅行者や、知識欲旺盛な一般人の口こみとしても、知られていったはずである。

なみに、1955年の『The Lemming with the Locket』 (Carl Barks,1955)は注目に値する。

このコミックにおけるレミングの振る舞いは、1954年の『National Geographic』の記事に触発されたとして語られているが(残念ながら記事は見つからなかった)、それよりも、カール・バークスがディズニーのマンガ家であるという事実については素通りしがたい。

思い出そう。『White Wilderness』の撮影は3年かかったということ、そしてほとんどが編集作業だったという事実を・・・。つまり、レミングさんたちの「協力」を得た撮影は1955年なのだ。

The Lemming with the Locket』 (Carl Barks)は人気のコミックであり、その発売の年に、アレが撮影されたのである。もちろん、カール・バークスその人と、レミング虐殺撮影に関係があるなどということは言わないが、撮影とマンガが同年というのは、偶然ではなかろう。

と、話が逸れたが、レミングの死の行進が認知され、普及する過程において、重要な役割を果たしたのは、それまでに醸成された土壌があってこそだが、1927年『Animal Ecology』、1942年『Voles,Mice and Lemmings』という、エルトンの論文であろう。

というのも、いまだに『Animal Ecology』の記述に沿って、レミングの集団自殺について解説している科学畑の人は珍しくないほどなのだ。もっとも、これは知識欲旺盛な層の話に限定される。

そういう意味で、エルトンは下地作りに影響したという方が適切ではある。なにより、1958年にアカデミー賞まで受賞してしまった『White Wilderness』によって、伝説が最終形態として完成することが、何よりも決定的であろう。

この『White Wilderness』及び1964年のPART2が及ぼした影響と比べれば、エルトン等の先行する情報など、ほとんど影響がないくらいかもしれない。これは重要なことだ。

なお、ディズニーフィルムによって神話が一般化されたが、本来の群集生態学や個体群生態学のなかでは、レミングサイクルこそ重要な問題であり続けるが、集団自殺については冷ややかで、捏造フィルムが学術的なレベルで影響を与えたことはない。さすが本職は凄い。

以上が、伝説の普及から完成の過程である。

一応、それ以降の展開も少し触れる価値があるかもしれない。というのも、そもそも、レミングの死の行進は、自殺的ではあっても「目的を持った集団自殺」という解釈は、古い文献はもとよりディズニーフィルムでも、採用されていないのである。

前にも述べたように、レミングの挙動については色々な仮説があった。

エルトンが言及し、ディズニーフィルムでも解説のあった、太陽黒点との関係、食物の変化、地磁気の異常、天候の変化、といったものや、特定の疾病、故郷アトランティスへの帰巣本能、餌の枯渇による共倒れを回避する間引きの本能など、本当にいろいろなアイデア
*8が登場した。

しかしながら、目的意識による集団自殺という意味付けが与えられるのは、もっと後である。

私が調べた限りでは、そういった集団自殺としての解釈は、自然選択が個体ではなく「集団や種に有利な性質が広まる」という集団選択 ・群淘汰の理論を解説するための具体例(たしかに集団自殺というのは「利他的な行動」の実例としては最終形態だ)として用いられたことで、始めて真面目に主張されたように思われる。

一応、1924年のエルトン論文でも「間引き」に似ているという言及はあるが、当時の知見からいっても、その可能性は考慮すらされず即座に棄却されている程度の扱いであった。

そういったわけで、目的ある集団自殺という説は、伝説の完成後に本格化した、比較的新しい解釈のようである。そして、これもまた、レミングの神話を延命させる役目を担ったことは確かだろう。もちろん、現在の進化論では、種の保存というアイデアは棄却されているため、利他的な自殺行動という説は相当に弱っている。

ついでに言えば、1991年に『レミングス』というアクションパズルゲームが欧米でめちゃめちゃ大ヒットしてしまい(日本でもそれなりに売れたらしい)「レミングの集団自殺」や、愛らしいまぬけさが認知されたことも影響しているだろう。

ともあれ、レミングの集団自殺神話の発展は、だいだいこのような流れである。

なお、レミングサイクルの問題は、現在も完全決着しているわけではない。

とはいえ現代の群集生態学では、捕食者と被食者の食物連鎖のレベルで説明がつくだろうと考えるのが一般的である。そこで、大移動や集団死について、もう少し詳しく論じてみよう。
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脚注

 


1.その功績は、19世紀ノルウェーの動物学者ロバート・コレット(Robert Collett)による調査や〜チャールズ・エルトン(Charles Elton)の研究に帰する

「 The modern scientific study of lemmings started with work carried out by the Norwegian
Professor of Zoology Robert Collett, who at the end of the 19th century gathered a great deal of information about lemmings – and their variations in numbers. But it was not until the work of the British ecologist, Charles Elton, that the study of the lemming cycle saw its modern form. With the publication of Elton’s paper3 in 1924 the modern study of lemming cycles started.」『The Lemming Cycle』 Nils Christian , pp1-3

「 Since the early 20th century when Charles Elton (1924) published his classic paper on
periodic fluctuations of lemmings and voles, and brought the findings of Collett (1911-12) to the attention of a wider audience (Stenseth and Ims 1993a), 」
Vole population dynamics: experiments on predation』 Janne Sundell p9,2002

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2.1924年のエルトン論文が、後の個体群生態学へ与えた影響をテーマにした論文さえある

 たとえば「From arctic lemmings to adaptive dynamics: Charles Elton's legacy in population ecology」 『Biological Reviews』 Volume 76,pp129-158 (February 2001)など。

ちなみに『Do Lemmings Commit Suicide?: Beautiful Hypotheses and Ugly Facts』の著者であるDennis Chittyは、この時期にエルトンの元に入り研究歴がはじまる。なので、現在では個体群生態学の長老格である。

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3.1926年にロスマン(Earl Rossman)がアラスカのレミングが最後に大移動したのは1888年であるという報告

 『Black Sunlight』 (1926,Earl Rossman)
 『Time』誌「Mice」 Monday, Jan. 10, 1927より
 「Or the Arctic plain in north Asia or America. Author Earl Rossman of Black Sunlight (1926) mentions that the last migration of the Alaskan lemmings (Lemmus migripen) occurred in 1888. 」

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4.チャーチ・ワードがムー大陸の証拠をでっち上げた1930年前後

 ジェームズ・チャーチワード(James Churchward , 1851 - 1936)は、アメリカ合衆国在住のイギリス人で、アトランティスに一方的に負けていたムー大陸をよみがえらせ、有名にした立役者。別にチャーチ・ワードが生みの親ではないが、世間的な認知を生み出したという意味では、事実上の開祖かもしれない。

『失われたムー大陸』(英: The Lost Continent of Mu、1931年ニューヨークで出版)
『ムー大陸の子孫たち』(英: The Children of Mu、1931年)
『ムー大陸の聖なるシンボル』(英: The Sacred Symbols of Mu、1933年)
『ムー大陸の宇宙力』(英: Cosmic Forces of Mu、1934年)
『ムー大陸の宇宙力第二の書』(英: Second Book of Cosmic Forces of Mu)

この時期に活躍しているわけだ。

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5.ブラバツキー夫人

エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(Eelena Petrovna Blavatsky, 1831 - 1891)通称、ブラヴァツキー夫人は、神智学の開祖で、神智学協会の設立者。近代オカルトの一大潮流であったニューエイジ思想の大本にあたる。

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6.1887年『Popular Science Monthly』 (Volume 11, The Norwegian Lemming and its Migrations)

 『Popular Science Monthly(Volume 11, The Norwegian Lemming and its Migrations)』では、レミングの激増と、たまに大移動するのは本当だとしている。また、激増したレミングは、スカンディナビア半島の中心くらいから、直角に西(海がある)に向かって移動するということを説明している。

そのうえで、自殺的な死の行進は、かつてアトランティス大陸が、あり、本能によって海と知らずに飛び込んでいるのではないかという解釈を例示していた。

それは、あくまで仮説に過ぎないが、ブラバツキー夫人が『THE SECRET DOCTRINE』 Vol2 pp781-782で、この記事を引用していることで、大きく知られたように思われる。

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7.少なくとも1927年には、レミングの集団自殺神話が、アトランティスと結びついた話として、大衆のなかで認知されていた

 『Time』Monday, Jan. 10, 1927の記事。

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8.いろいろなアイデア

 
Hinterland WHO'S WHO Lemmings > Unique characteristicsほか、Lemmings Suicide Myth Great Moments in Science, ABC Scienceなど参照

 「change in food availability, climate, density of predators, stress of overcrowding, infectious diseases, snow conditions, sunspots, etc」や、天候による説明は(Elton,1924;Leslie,1959)など。

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