AX 懐疑論者の祈り

 


J・B・ラインの評価に対する誤った否定論
及び、ちょっとした超心理学の歴史

 
 これはASIOSブログ『超心理学――封印された超常現象の科学』 のコメント欄でのワカシムこと若島と、ながぴいこと長澤氏(大阪大学で現役の准教授として教鞭を執っている人物でもあります)のやり取りに関する補足記事に過ぎません。※この記事で触れているライン博士の件は『超心理学』第三章でも説明があります。

 これは私が4年前に長澤氏に指摘してから未だに理解していただけない問題です。

 これから書くことは、超心理学と懐疑論争に興味がない方は知らなくて当然の話です。 なにしろ2007年までの私もやらかしていましたし、ロバート・パーク『なぜ科学にだまされるのか』や山本弘『超能力番組を10倍たのしむ本』などの良書を含む懐疑論者の文献でも同じことをしているからです。当然、初耳の方も多いと思いますし、興味がある、納得できない方は自分でも調べてみてください。

 問題となるのは長澤氏が編集しているSkeptic WIKIのディーン・ラディン(Dean Radin)の項目ですが、前提知識なるJ・B・ラインと超心理学の歴史も簡単に解説します。

  ・懐疑論者の過ち

 デューク大学のJ・B・ライン博士といえば、サイコロ振りやESPカード当ての実験を、統計数学によって研究することを始めた実験超心理学の開祖でもあります。

 ライン博士は懐疑主義業界において、長いこと理不尽に貶められてきた人物でもあり、名前ぐらいは知っているという人も、恐らくは「トンデモさんでしょ?」くらいに思っているかもしれません。

 しかし、それはかなりアンフェアです。

 とりわけ世の懐疑論者たちは実験超心理学の父J・B・ライン博士を批判するときに、根拠が薄弱で怪しい内容の「逸話的証拠」を孫引き中心に60年以上使い回していたという恥ずかしい過去があります。何というビリーバー的な過ちでしょうか。

 そんな私がJ・B・ライン博士批判の問題に気がついた発端は、2007年石川教授の訳書ディーン・ラディン著『量子の宇宙で絡み合う心たち』P128の記述でした。

 そこには、「ラインの研究が否定されたと思っている人がいるがそれは誤り」という主旨の文言が書いてあります。私としては、当初「うそくさい」と思ったのですが、懐疑論者として自分が誤っている可能性も考慮し、ライン博士の研究について一から調べなおした結果、驚くべきことに、懐疑派のなかで酷い過ちが続いていることに気がついたのです。

長澤氏は同じ本を読んだのに、その記述に気がつかなかったのか、ライン博士の研究を60年前の逸話で嘲笑するという行為を現在も続けています。指摘したら逆切れされてビリーバー扱いされたわけですが…本題に入ります。

  J・B・ラインに対する誤った批判の発端と歴史


 ライン博士批判の問題ですが…発端はノーベル賞受賞者でもあるアーヴィング・ラングミュア博士が、1953年に行なった「PATHOLOGICAL SCIENCE」(病的科学という概念を提唱した講演で、内容は素晴らしい)という記念碑的な講演に登場した逸話です。

ラングミュアは、この講演で、1930年代にラインの研究室を訪問したときの体験として、「ラインの研究方法がいかにカスだったか」という逸話を語りました。

当該部分を引用しましょう。
 
 「驚いたことに、ラインの平均値算出法はあきらかに誤っていた。ラインは、被験者がわざとまちがえたのではないかと疑惑を感じた得点を無視し、統計から除外していたのである。ラインは「自分をきらう被験者が、意地悪くカードの模様をわざとまちがえて推測した」

 要するにラングミュアが20年前の記憶を頼りに1953年の講演「PATHOLOGICAL SCIENCE」で上記のような逸話を紹介したわけです。

 ところがこの逸話を真に受けるのは、ちょっと難しい

 そもそもラインは、1934年に『Extrasensory Perception』を発表し、これによってESP研究が注目され、科学社会で論争になり、好意的な評価もそうでない評価も受けていました。

その後、ライン博士の研究を追ってみると、ビリーバーの追従に満足せず、自分の研究に対する懐疑派からの批判に耳を傾け、懐疑派の批判や意見を積極的に取り入れることで、実験上の問題点を改善し続けているのです。

 ちなみに、これが後に何十年も続く超心理学における懐疑論争の典型的な形態で、超心理学ほど批判者の意見を取り入れ続けた学問分野は他にありません。

 
だからこそ、部外者の単純な否定論は大抵が周回遅れになります。

 それでも、ぽっと出の心理学者や物理学者がドヤ顔で「科学の実験にはバイアスというものがあり〜」と語り出す現象は、何十年もお約束として繰り返されるのですが…。

 ライン博士は懐疑派の批判を受け入れてきた結果、実験方法が非常に堅実になってしまったので、批判者たちは「統計数学」の部分に批判の矛先を変えました。

 ★なお、このあたりの経緯を調べると、ラングミュアが語ったような超恣意的なデータの取捨選択が存在していたと考えるのが、いかに無理筋なのか理解できると思います。

ところが、統計数学の部分も、1937年に当時最高峰の統計数学者、数理統計研究所の所長バートン・キャンプ博士が、実験データの統計数学上の扱いは完全に妥当であるという声明を出し、批判できる個所があれば統計数学以外の個所になるはずだ、と発表したのです。

その声明は

「ライン博士の研究は,ふたつの側面からなっている。実験と統計である。実験面については、数学者は当然ながら何も申しあげることはない。しかし統計面について言えば、近年の数学研究は、実験が適切になされたと仮定した場合、その統計的分析は有効であるとの結論に達している。ライン博士の研究が的確に批判されるとすれば、それは数学的背景に関連しない部分であるべきだ 」  」 

というもので、要するに1930年代には実験の問題は批判する側もネタが尽き、残る攻撃対象の統計数学にも欠点がなく、微小ながら統計的に有意という結果だけが残ったわけです。

 ただし、それは超能力と呼ぶにはいささか微妙で…

 「 膨大な試行回数でカードの絵柄当てをした結果、ランダムからは少し外れた頻度で正答した」という現象が検出できた」

という程度に過ぎません。

 誰もが驚くような頻度と精度で映像を相手に送信したり、見えない数字を当てたり、というほどの結果があれば、論争など終わっていたはずです。ところが、そこまではできていないのです。これが、超心理学が認められない最大唯一の原因といっても良いでしょう。

ともあれ――いささか地味ながら――説明できない現象が、科学的に管理された環境で検出できたわけです。(マジック論争とかもあるのですが割愛します)これについては、やはり科学の土俵で議論すれば良いというのが私の立場ですね。

 以降も、ライン博士は研究を続け、いよいよ1940年に『Extra-Sensory Perception After Sixty Years』通称『ESP60』という集大成を発表しました。

 そのため、もしライン博士の研究を批判するなら、ラングミュアの逸話を証拠にするのではなく、単に『ESP60』を議論の対象とすべきです。しかし、批判者の声を取り入れた結果ですので、追試する以外に批判を持ちだすのは難しいですし、それこそ超心理学の学会で論文を発表すれば良い話でしょう。

 さて…ここで思い出して欲しいのですが、ラングミュアが1953年に行った講演では、ライン博士が恣意的にデータをいじったかのようなことを20年前の記憶で、しかも軽く述べただけでした。

 ラングミュアが見学したときに、本当にそんなことがあったのかどうかは、個人的には怪しいと思います。というよりは、単にラングミュアが20年前の印象を誇張したのだと思うのですが、いかがでしょう。なぜなら講演の主題は「病的科学」という概念で、ブロンドロのN線などと並べて説明するために軽く語っただけなのですから。

ついでに言うと、かつてラングミュアがラインの研究室を見に行ったときに、その情報がメディアに流れ「ノーベル賞研究者も興味!」といって騒がれてしまい、ラインの研究を不当に宣伝する格好になったという過去があります。チクリとやり返したのではないでしょうか。

 いずれにせよ1934年から1953年(講演の年)までの間に行われたライン博士の研究は、研究の詳細や進展が容易に追跡できるのですから、ラングミュアの逸話は出番などありません。※ちなみに、デンバンキングの裏を取ると、大抵きちんと調べていたことが判り、私が改めて尊敬することになった故マーチン・ガードナーは、いつもの論調から比較すると、ラインの研究に対する言葉の慎重さには驚かされます。

 ともあれ、ラインの研究が当時の科学社会でも無視できない水準になったため、そこから研究は軌道に乗り、1957年には超心理学会(
PA)が発足、1969年にはPAが全米科学振興協会(AAAS)への参加が認められたのです。「AAAS」とはご存じ『サイエンス』誌の発行母体です。(ラングミュアの逸話が真実なら、これもあり得ないことでしょう)

 1969年、超心理学は科学としての体裁が完全に整いました。

 なお、元のやりとりで長澤氏が「レヴィ事件など聞いたこともない」と主張し、石川教授の超心理学の歴史に関する記述を非難していましたが、1969年に最盛期を迎えた超心理学が衰退するきっかけは、1971年に発覚するレヴィ事件(深刻な捏造事件)によって、批判派が勢いを盛り返してからのことです。
本当に何も知らないんです。この自信はどこから来るのでしょう…。


  問題の個所  


 Skeptic wikiに長澤氏が書いたディン・ラディンの項目には、ラディン博士がライン博士の研究を取り上げることに対して、あろうことかロバート・パークの『なぜ科学にだまされるのか』にある、ラングミュアの講演を孫引きしてこき下ろしているのです。

 
該当する箇所は、長澤氏が「ラディンの考え方」と称し、専門家ですらないPedersen さんという一般人のレビューを引用している有様で、ここがとにかく酷いです。

以下は、長澤氏の記述を引用します。

Skeptic wikiのディン・ラディン より

この本で、ラディンはJ. B. RhineのESPカードの研究を何度か挙げているが、ロバート・パークの「わたしたちはなぜ科学にだまされるのか」(文献7)で次のような記述があることをPedersenは指摘している。

驚いたことに、ラインの平均値算出法はあきらかに誤っていた。ラインは、被験者がわざとまちがえたのではないかと疑惑を感じた得点を無視し、統計から除外していたのである。ラインは「自分をきらう被験者が、意地悪くカードの模様をわざとまちがえて推測した」と思いこみ、その得点を統計に加えると結果に誤りが生ずると判断したのだ。だが、なぜ被験者がわざとまちがえたことがラインにわかるのだろう?

 「偶然では片付けられないほど、被験者の得点が低かったから」と、ラインは主張した。ラインにとって、ESP実験における異常に低い得点は、被験者の悪意をしめすものだった。ところが、異常に高い得点は、ESPの存在を証明するというのである。

この記述はアーヴィング・ラングミュアIrving Langmuir)が1934年にデューク大学のライン(Rhine)を訪問したときの体験に基づいている。ラングミュアは、ジェネラル・エレクトリック社のKnolls研究所で1953年12月18日に行なった「病的科学:科学でないものについての科学」という講演の中でこの体験を述べている。プリンストン大学のKenneth Steiglitz教授の「PATHOLOGICAL SCIENCE」(文献22)で、その講演内容を見ることができる。このうち、ラインについて述べている箇所は「Extrasensory Perception」である。


 はい、ラングミュアの逸話をおもいっきり孫引きし、ボロクソに書いているわけですが、冒頭で述べたように、ディン・ラディンの『量子の宇宙で絡み合う心たち』のP128に、「それは誤解だ」という文言があり、私の場合は自分で調べて、誤りに気がついたのですが、ろくすっぽ読まない、さらには知識もなかった長澤氏は、こういうことをしてしまうのです。

 しかも、この件は以前から長澤氏には説明してきたのです。

 
※一応、途中から「もちろんラングミュアは20年近く前の自分の体験に基づいて発言しているので、実際にその記憶がどこまで正確なのかは誰にもわからない。」という文が追加されてはいます。
 

 そういうわけで「不誠実な批判(中傷に近い)」を鵜呑みにしたことも良くないのですが、この件を指摘されても、超能力を認めろと迫られているかのような反応しかせず「本流科学者として超心理学や関係者を侮辱し続ける」という態度を変える気がないという姿勢こそ、この人物がどのような「デンバカー」なのかを証明すると、私は考えます。

 さらに、問題の個所を続けて読むと、長澤氏は輪をかけて勘違いしています。

以下、長澤氏の記述を引用しましょう

Pedersenによると、こうした批判に対するラディンの態度は次のようなもの(文献15、p.218)である。

実験者がいくつかの不正を犯した分野において、科学的な主張を放棄しなくてはならないとすると、人間の行いにはインチキがつきものなので、事実上、すべての科学分野を放棄しなくてはならなくなる。

しかし、これは極端な一般化であり、誇張された主張である。たとえば、超伝導の研究分野で不正があったとしても、超伝導という現象がなくなるわけではない。不正の結果は無効となり、不正を働いた人物の研究は信用されなくなるというだけである。


とありますが、これまた知識不足による言いがかりですね。

というのも、引用にある記述のインチキ云々は、懐疑論者が超心理学を批判するときに使う二大詐欺事件レヴィ事件とソール事件を踏まえての記述です。ラインは不正していませんから。

ところが、長澤氏はASIOSブログのやりとりで指摘されてからも、次のように返答をしてしまいました。

本城:レヴィ事件とソール事件を「そんな事件誰も知らない」と書くのはさすがにだめです。

 ながぴい:いいえ、そんな事件誰も知りません。


 はい、本当に知らないんです。この人。

 しかも自分が知らないことを根拠に、石川教授の著書を批判するという離れ業をやらかしています。

レヴィ事件もソール事件も、それを20世紀中に懐疑論者がどのように扱ったかも知らない人間が、「極端な一般化」といった見当はずれな批判をしているわけです。私には「もっと調べましょう」という指摘しかできません。

 さて、これは本当に一例で、非常に簡単な話なのです。まだ他にも色々あるので全部を取り上げるのは大変過ぎます。

長澤氏は、他の記事に関しては職業柄レベルが高いのですが、超心理学の話になると、なぜかこうなのです。

この件、私は本当に言葉を変えて、何度か指摘してきたのですが、ぜんぜん理解して貰えない典型的な事例で、『超心理学』のレビューの問題も本質的には似た状況なのです。

 ともあれ、冒頭でも述べましたが、ライン博士について納得できない方は、昔の懐疑論者の書き流しを読んで安心するのではなく、その先をきちんと調べてみてください。


  補足:ライン博士の研究に対する私の立場


 まず『ESP60』(及び超心理学ないし特異的心理学から提出されてきたいくつかの実験)に対しては「統計的なミス、影響が出るほどの恣意的な実験の打ち切り、影響が出るほどの出版バイアス、実験環境の不備」といった懐疑的な理論では説明ができないため、そうした解釈は棄却するし、アノマリーかもしれない微小な現象が検出されたということまでは、とりあえず認めるべきだと思っています。(なぜなら最終的に誤りであったとしても、科学的な方法として十分だから)

しかしながら、同時に、その「現象」がESPの実在を示唆しているという風に思うことはできません。その理由は、先にも書いたように…

 「 誰もが驚くような頻度と精度で映像を相手に送信したり、見えない数字を当てたり、というほどの結果があれば、論争など終わっていたはずです。ところが、そこまではできていないのです。これが、超心理学が認められない最大唯一の原因」という点に集約されています。 もっと簡単に言えば「だって、人間の精神に由来する未知の現象だとは思えないんだもん」ということです。


  まとめ


 問題となったASIOSブログでのやりとりですが、ワカシム(若島)がながぴい(長澤)氏に、以前にも指摘したライン博士の件を持ちだしたところ、氏は

 「なぜ今さら、過去の人物であるラインの研究を調べないと、恥ずべきことになるのでしょうか?」「あれもこれも調べなきゃ批判しちゃいけないというのは、疑似科学的主張ですね。」

 という発言を今回もされています。哀しいことに「熟読し批判できるだけの知識を見に付けてからやってください」という私の懇願は、長澤氏にとっては「侮辱」にしかならなかったのが惜しまれます。ちなみに、ご本人は数種類の文献を「わざわざ読んだ」そうですが、頭に入っていないし、理解もしていないので、あまり意味があったようには思えませんでした。

最期に、長澤
氏が、これまたとてつもない無知でカール・セーガンをこき下ろした件も再三指摘したのですが、これだけはようやく理解していただけたのですが、修正分を乗せずに項目ごと削除するのはいかがなものでしょうか。

 
しかしながら、もっと暗澹たる気持ちになる現実があります。

というのは、長澤氏の超心理学批判は、部分的には私よりも高度な内容に踏み込んでおり、それなりの論文や(自分に都合の良い文字列を発見することに集中している疑惑がありますが)資料に目を通しており、全体としてみれば有益な解説を提起できているということです。

もっと酷い事例はわさんかあるということは強調しておくべきでしょう。