懐疑論者の祈り > 懐疑主義 Skepticism > 哲学的懐疑主義(Philosophical skepticism)

 
 

哲学的懐疑主義
 
Philosophical skepticism


 現代の懐疑主義について知るためには、誤解を避けるために哲学懐疑主義と科学的懐疑主義という区分について知ることが望ましい。

 この両者は無関係ではないが、区別される程度に距離がある。

 しばしば、この違いを知らない者が、世界中の懐疑主義団体がおこなっている活動を評価する文脈にもかかわらず、「懐疑主義ならすべてを疑うべきなのに、非正統的な主張しか疑わないなんて似非だ」などという、ピントのずれた主張をする場合があるのだから悩ましい。

 本来、非合理批判の系譜に連なる懐疑論者にとっては、懐疑主義とは何たるか、ということは重要ではない。そのため両者が違うのだ、ということだけを知っていれば十分なのだが、しかし、どう違うのか気になる、という人も中にはおられよう。あるいは、どう関係があるのか、どういう意味なのか、懐疑主義という言葉に違和感を感じる人は、素朴な疑問をいだく場合もあろう。

 そこで、ここではあえて、我々が興味を持っていない方の懐疑主義、つまり哲学的懐疑主義についてのおおざっぱな解説をおこないたい。

 もっとも、私自身は門外漢なので、異なる解釈が並列しているにもかかわらず、無視しているように見える箇所もあるかもしれないが、我々にとっては、さして重要ではないという理由でご容赦いただきたい。

 そういうわけで懐疑主義である。

 もともと、西欧哲学思想史おける懐疑主義(skepticism)は、かなり古い歴史を持ち、現存する記録によれば、紀元前3世紀頃哲学者ピュロンでさかのぼることになる 。

 さらにいえば、懐疑主義(skepticism)や懐疑論者(skeptic)という言葉はもっと古い。

 懐疑主義とは、もともとギリシア語のスケプシス(Skepsis)や、スケプティコス(skeptikos)、その複数形スケプティコイ(skeptikoi)に由来している。スケプシスとは「考察、吟味、検討」といった意味で、スケプティコは「思慮深い者、よく考察する者なんていう意味の言葉であった。

 しかし、2世紀頃に、ピュロン主義の後継者が活躍しだすと、スケプティコイという言葉が―発見よりも終わりなき探求の継続を重視する人々として―懐疑学派(懐疑主義者)を指す意味になったという経緯がある1

 そんな懐疑主義は、哲学思想史において、非常に重要な役目を果たしてきた。

 正直、びっくりするほどの影響力である…のだが、ひとくちに懐疑主義(skepticism)といっても、古代から近代まで、必ずしも単一の哲学を意味してきたわけではなく、支持する結論や、哲学としてのカテゴリなどが異なるものも混じっていることは確かだ。

 しかし、それでも総じていえば、懐疑主義とは「絶対的な真理や基本原理の発見を主張する独断主義(Dogmatism)に対して、その普遍性や客観性を吟味し、最終的には反対するような認識論の哲学として、荒っぽくまとめることができる。

 もっとも、現在のところ、最初期の古代懐疑主義(ピュロン主義)が、どういった哲学だったのかについては、正確なところは判っていないようだ。残念ながら、ピュロン主義も、アカデメイアを懐疑主義に転向させたアルケシラオスご本人の著作は残っていいのである。

 そのため、現在知られている古代の懐疑主義は、紀元後2世紀頃のセクストス・エンペイリコス(Sextus Empiricus)まとめたピュロン主義哲学の概要が典拠になっている2

 セクストスによると、懐疑主義の元祖である
ピュロン主義は、心の無動揺・平静にいたるためには、経験的な事象の本質について、真だの偽だの判断するのをさし控るべきだという立場の哲学だそうだ…。

 正直、われわれ現代人にはまったくピンとこないが、『ピュロン主義哲学の概要』には次のような記述がある。

「懐疑主義者はもともと、諸々の表象を判定して、そのいずれが真であり、いずれが偽であるかを把握し、その結果として無動揺[平静]に到達することを目指して、哲学を始めたのであるが、けっきょく、力の拮抗した反目のなかに陥り、これに判定を下すことができないために、判定を保留したのである。ところが判断を保留してみると、偶然それに続いて彼を訪れたのは、思いなされる事柄における無動揺であった」 p.20

 へ?心の無動揺って?という、おいてけぼり感は私も抱いた。

 だが、とりあえず、
なぜ知識の哲学にアタラクシア(無動揺・平静)とやらを期待するのかとか、エポケー(判断保留)だのアッティオンブリケー(アッチョンブリケ)だのは、この際どうでもいいだろう。

 せいぜい、
古代には認識論(真理の有無や、知識は何かとかを扱う哲学の分野)3が生き方の指針となるような思想的・文化的な背景もあったようだ、というくらいに理解しておけば十分だ。

 そんなことよりも我々にとって興味深いことは「アタラクシアへいたる方法」としての懐疑主義ではなく、懐疑主義から導出される認識論の部分である。

 そう、古代の懐疑主義からは次のような世界像が得られるのだ。

「我々が知覚し認識する経験可能な世界は、感覚器官を通して脳が再構築した主観であるからして、完全な客観など望むべくもなく、外界の真なる姿を知ることはできない。」4

 ここから、アカデメイア派の懐疑主義なる陣営、蓋然性による判断を支持する蓋然論を出しており、蓋然主義とも呼ばれる。

 いっぽう元祖懐疑主義のピュロン主義は、「判断を保留すれば幸せだ」という主張がキモらしい。

 そんなわけで、実際に、近代の自然科学が成立するための不可欠な要素である経験主義は5、古代の懐疑主義からはじまるといってよいだろう。

 何を隠そう「セクストス・エイペイリコス」とは、「経験主義者セクストス」という意味なのだ。

 しかし、それほど早熟な古代の懐疑主義は、セクストスがいた2世紀以降、16世紀までほとんど忘れられた存在だったという切ない歴史がある。

 長いこと時代の闇に埋もれてしまったのだ。

 そう…世にいう暗黒時代である。

 そこから、1000年の刻をこえ、失われし古(いにしえ)の学問が再び息を吹き返すには、ルネサンスを待たねばならないのであった。

 ちなみに、私は学校で習った記憶がないのだが、ルネサンス(Renaissance)とは「再生」を意味するフランス語で、14世紀〜16世紀にイタリアを中心としてはじまった古代ギリシア・ローマの文献の再発見による学問・知識の復興運動なんかを意味している。

 なぜルネサンスが起きたのだろうかというと、これまた私は学校で習った記憶がないのだが、西欧史では、中世(5世紀から14世紀)を暗黒時代と呼んできた。中世は、古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退し、文化や芸術や知識が停滞した時代だと考えられていたのだ。
 そんな時代ではあったものの、天文学や物理学などが発展するにつれ、やっぱり神だのナンだのほざく世界観では、どうもなぁという空気が生まれ、「人類史上もっともすぐれた時代であった古代ギリシア・ローマの、文化や芸術、学問、知識、文献などを復興しようではないか」という運動になるわけだった。

 余談だが、ミスター味っ子のアニメ主題歌で「ルネッサ〜ンス、情熱」という歌詞があるが、あれはおそらく、味っ子の父親の優れたレシピを再発見し、復興しようとする意味が隠れているのであろう。無駄に知的なのだ。たぶん 。

 まあ味っ子はよしとして、ルネサンスにより、1562年に『ピュロン主義哲学の概要』のラテン語訳が出版され、急激に西欧諸国の知識人連中に広まったのである。

 つまり、16世紀になってやっと古代の懐疑主義が学問的に再発見されたわけだ。

 そして、ルネサンスの再発見文献のうち、後の哲学に最大の影響を与えたとされるのが、このセクストスの『ピュロン主義哲学の概要』であり、つまり懐疑主義の再発見という一大事なのである。

 なんせ、それ以降300年ほど「哲学といえば認識論」という状況をもたらした6というほどである。

 いまでこそ我々は、哲学というと認識論のイメージが強いが、本来、哲学が扱う話題はかなりある。

 存在論:「存在するとはどういうことか」「何が存在するのか」

 認識論・真理論:「我々はどのようにして世界を認識しているか」「真理とはなにか」

 自我関連:「私とは何であるか」「自己意識はいかにして可能か」

 哲学的意味論:「言葉の意味とはなにか」「言葉の理解とはどういうことか」

 道徳・倫理:「我々は何をすべきか」「善とは何か」

 人生論:「我々はいかに生きるべきか」

 社会哲学:「社会はどのように成り立っているか」「どのような社会がのぞましいか」

 政治哲学:「政治はどうあるべきか」

 などなど、よく考えればそうだな、というくらい豊富である。

 そんなわけで、向こう300年の哲学を認識論に染めた、ということが何を意味するかといえば、要するに、懐疑主義の再発見こそ、近代の自然科学が成立するための極めて重要なトリガーであったということだ。

 したがって、セクストスのピュロン主義哲学の概要』は、古代の哲学を伝える史料価値よりも、その影響によって、哲学思想史上における超一級の重要文献となっている。

 それも当然で、影響を受けた人物には、モンテーニュ、デカルト、ヒューム、カントなど、門外漢でも耳にしたことのある、哲学史上(のみならず科学史にも)顔を出すような、超大物が並ぶ。そのなかでも、17世紀のルネ・デカルト(仏:René Descartes)が、近代哲学の父という扱いだというのは周知のとおりである。

 そのデカルトは、懐疑主義を継承するのではなく、抵抗していくことで、真理を探究する哲学を生みだした。

 懐疑主義とは離れるが、デカルトは当時、万人が持つ理性によって真理を探究すべしという視点を明確に打ち出しており、これはかないr画期的なことである。

 いまでこそ、人間ならば基本的、原理的に、幾何学の証明などは誰もが等しく真であることを確信できるという風に理解しているが、それを明確にしたのがデカルトといってよいのかもしれない。

 また、いまでこそ私たちは、「真」や「善」などを、事実命題と価値命題とに区別しているが、かつては、必ずしもそうではなかった。真善美も同じくらい普通に「真理」という関心の持ち方でとらえられている。そのため、「理性」ではなく「信仰」で真理にいたるという立場も、不自然なことではない時代だということを知ると、よりデカルトの功績がわかりやすくなるかもしれない。

 さて、1637年のこと、そのデカルト氏は『理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求めるための方法の叙説』という本を出版する。

 これぞ有名な『方法序説』である。

 これは、驚くべきことに、17世紀にして、女性や子供も読めるようにという、およそ信じがたい設定で書かれており、学術論文用のラテン語ではなく、フランス語で出版されているのだ。

 この書では、第一章からこうくる。

「 良識(bon sens)はこの世で最も公平に分配されているものである…

 …すなわち、よく判断し、真なるものを偽なるものから区別する能力、これが本来良識または理性と呼ばれているものだが、これは全ての人において生まれつき相等しいこと、したがって、我々の意見がばらばらであるのは、我々のうちの或る者が他の者よりもより多く理性を持つから起こるのではなく、ただ我々が自分の考えをいろいろ違った道によって導き、また我々の考えていることが同一のことではない、ということから起こるのだということ、である。」

 読んでいない方は驚かれると思うが、この『方法序説』は、かなり平易である。

 デカルトは、知識の体系を建造物に喩える。

 「どうやら、道徳も哲学も弁論術も、数学以外は、その基礎に不確かな足場を含んでいる。一生に一度でも、それまでの自身の偏見などを払うために、いったん不確かな知識を破壊し、誤り得ないほど確かな足場だけを認め、そこからやり直すことをすべきである。そのようにしてから真理の探究をはじめようと考えた。
 原理的に疑う余地がある全ての命題は、ひとまず偽として排除しておく。それでもなお、疑い得ないほど確実な足場があれば、それは哲学の基礎として採用するに足る真理だろう」という考えを述べるのである。

 その疑い得ない原理を公理とし、そこから、誰の理性でも納得のできるほど明瞭な単位を一歩とし、知識の体系を延ばす方法を見出したわけだ。

 それが世にいう方法的懐疑演繹である。このデカルトからの立場は、合理主義とよばれる。

 だが、ここには「真だとするものは絶対的に誤りの可能性を含んではいけない」という前提があることに注意したい。

 もし、人類が、外界からのフィードバックなしの純粋な思弁で、精度無限大の知識を得られるならば、疑い得ない公理を探し、演繹する方法は、真理という知識の体系を構築する目的に適うものである。

 しかし、残念ながら人間はそんなすごくない。デカルトの方法的懐疑を経た産物は、立派な理念から無価値な話がうまれる様子を具現化している。

 そう、デカルトが基礎に据えるに値するとしていきついた、疑い得ない真なる命題が、世に有名な「小人エロが住む(cogito, ergo sum)」つまり「われおもう、ゆえに、われあり」なのである。

 このコギト・エルゴ・スムは、一般の理解によれば「考えるということは、考えていることを知っている意識の主体である私が存在することを即座に証明している 」という意味であり、これぞ徹底した懐疑の果てにも残る疑う余地のない、基礎に足る真理だそうである。

「(われ思うゆえにわれあり、について)・・・懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。」

とのことである。『方法序説』によると。

 しかし、この純粋な思弁のみでこねくりまわした真理から演繹される知識がどんなものかといえば「霊魂と肉体」の二元論と、神は存在するという話なのだから、困ったものである。(二元論は、精神と物質という考えから、機械論的世界観を生んでいるため、あながちクズではない)

 特筆すべきは、数学のみが確実な基礎をもつという理解をしていたデカルトが、それでもあえて数学の証明も疑いうるとする厳しさを採用したにもかかわらず、神の存在は、あきらかに懐疑の対象から外しているところであろうか。

 さらにいえば、現在では自然科学に入る範囲の理論について、デカルトはでたらめだ。

 これでは、純粋な思弁で確実な足場となりそうな真理を選別していく場合に、何も知識にいたらない原理しかでてこないのだ、という具体例になってしまうだろう。

 ともあれデカルトの方法的懐疑は、徹底した懐疑を貫徹した後に、絶対的真理の発見にいたったと主張する独断論めいた地点に降り立つのだ

 そのためデカルトによる方法的懐疑は、そのほかの哲学的懐疑主義とも別ものとされている。

 事実、デカルトらの立場―大陸合理主義というのだが―は、懐疑主義の直系であるイギリス経験論と対立する哲学としても知られているのである。

 ところで、本稿は哲学的懐疑主義の解説であるため、デカルトの位置については、それで充分なのだが、どうしても言及しておきたいことがある。

 それは、私が思うに―デカルトの哲学の中身はタワゴトだが、外側は注目に値するほど素晴らしい、ということである。

 私はかつて、デカルトの著作を一冊も読んでいないとき、しかも、文脈や目的、17世紀の知的風景をあまり分かっていない状態で「我思うゆえに我あり」の説明を聞いた。

 おそろしく陳腐に感じた

 さらにいえば「我思う〜」もしょうもないが、自然のふるまいについての理論もでたらめで、デカルトなんぞ何をありがたがる必要があるんだ、と思っていた。

 そんなワカシム26歳の春

 「デカルト?あんなたわごとをほざくバカが近代哲学の父なのか、「哲学」ってのは「知的っぽくみえるだけの、たいした内容なんてない、格の低い知的営みだな」として、ポストモダンと同じくらい蔑んでいたわけだ。
 ちなみにワカシム32歳の今日、「カント?あんなたわごとほざくバカが…以下略」

 しかし、ちょっとしたきっかけで『方法序説』と、その詳細版である『省察』(岩波文庫版に入る範囲)や『哲学原理』を読んだところ、はっきりいって考えを改めた。

 それまでは、どうやら、哲学という営みをどのように理解していないのか、という自覚の部分さえ、大きな誤解があった、ということに気がつけたのだ。無理解なのは自覚していたが、その無理解ということの意味にさえ、根本的な誤解を含んでいた。

 そんなわけで、近代哲学について無関心な懐疑論者やデバンカーも、とりあえず『方法序説』と、時代の背景についての資料は、基礎教養のためにも読んでおいたほうがいい。

 私は、いまも学問的な哲学を軽んじているが、そこにはいろいろ思うところがある。だが、昔と違うのは、より正しい認識から軽んじているということであり、軽蔑はしていない。

 そういうわけだが、それでも私はデカルトが好きじゃない。とはいってみても、デカルトの著作から良いこと取りをすれば、現代の感覚でも非常に合理的な態度が確認でき、しばしばクリティカルシンキングや、科学的方法などの、健全な懐疑主義の姿勢をみてとれるということも強調しておく。公平を期すために、懐疑論者としても興味深い、デカルトの発言や記述をおまけ2に用意した。

 と、まあ、いろいろあるわけだが、デカルトは、近代哲学の父として、哲学思想史上に大きな足跡を残し、幾何学・物理数学にも多大な業績を残している立派な人だ。

 が、懐疑主義という意味ではゴミである。

 方法的懐疑は、懐疑主義の影響を受けているが、直系ではない。

 さらにいえば、デカルトは(近年では独断論に陥ったという評価には批判もあるようだが)17世紀の科学革命から、ニュートン以降の自然科学の発展に関しては、あまり役にたっていない。

 とくに、デカルトの立場は、基礎付け主義(foundationalism)として、後の科学哲学者からは却下されるものである。

 基礎付け主義というのは、「真であるとする知識は、絶対確実であること」を要求する立場にありがちな、「絶対確実な基礎的信念から演繹できるのなら、その信念も絶対確実であるから、確実で無謬な基礎によって真理を探究しよう」といったものである。

 誤解を恐れずいえば、原理主義っぽい。

 先にデカルトの方法的懐疑と演繹について書いた箇所で

「真だとするものは絶対的に誤りの可能性を含んではいけない」

という前提の指摘と、

「もし、人類が、外界からのフィードバックなしの純粋な思弁で、精度無限大の知識を得られるならば、疑い得ない公理を探し、演繹する方法は、真理という知識の体系を構築する目的に適うものである。
 しかし、残念ながら人間はそんなすごくない。デカルトの方法的懐疑を経た産物は、立派な理念から無価値な話がうまれる様子を具現化している。」

としたが、これが基礎付け主義批判の要諦である。

 そういうわけで、むしろ、古代懐疑主義の再発見を受け、我々の興味に強く関係する哲学者は、奇蹟批判などもおこなった、18世紀の懐疑主義者デイヴィッド・ヒューム(David Hume)様である。
 
 さるチャネラーの女性が、同じ名前の霊媒D・D・ヒュームと混同していたが、別人なので注意して欲しい。

 ヒューム様は、いわゆるイギリス経験論(British empiricism)の代表格であり、デカルトらの大陸合理主義(continental rationalism)と対比される哲学上の立場にいる7
 
 ヒュームは、それまで哲学が自明としていた思考様式に疑義をなげかけ、数学を唯一の論証的に確実な学問と認め、経験的な事象についての確実な知識の存在は、そもそも原理的に保証されていないではないか、と考える懐疑論を打ち立てた。

 我々の理論は、直観や信仰よりむしろ世界についての我々の観察に基礎に置くべきだとし、実験による調査研究、帰納的推論といったものを礎においたわけである。さらには、物理法則の斉一性の原理(principle of the uniformity)に気がつき、帰納の限界を指摘した人物である。これは、物理法則の普遍性は、永久に真理であるとする保証はなく、論理的に証明されるものではないということを含意する。

 ここまでくると、自然科学の暗黙の前提である「科学的事実は究極的には暫定であり、近似である」といった視点が得られるだろう。

 なお、本筋とは外れるが、以上のことは「実際には真実と扱って問題がないほど十分に高い蓋然性をもった知識」の存在と両立する。実際にヒューム本人も、そういう立場である。

 明日物理法則が狂うことを懸念して足踏みする必要はない。誤りであればそのとき修正するよ、というのが科学の強みだ。むしろ、論理的に完璧な証明は「原理的にできない」のだから、蓋然性で判断するのが科学の背後にある、経験主義であり懐疑主義なのだ。

 これは、後にカール・ポパーが支持する、可謬主義(Fallibilism)の哲学的態度である。

 この立場は、知識について、論理的に絶対確実な正当性を期待する必要はなく、むしろ「経験的知識」は、さらに観察などにより修正されうる、という可能性が常にあることを認め、我々が知識とみなしているものはどれも「誤りであることが判明する可能性がある・究極的には暫定である」ということを承認する態度である。

 古代ギリシアの哲学者から確認可能な哲学でもあるが、この立場が自然科学のエッセンスであることは、現代人なら分かるだろう。

 そういうわけで、近代の可謬主義は、基本的に基礎づけ主義に対する批判から重視されてきた。

 ウィキペディア(Wikipedia)によると、「懐疑主義と違って、可謬主義は我々が知識を捨てる必要性ということを含意しない」とあるが、懐疑主義は少なくとも古代から、蓋然論を含むものはあり、必ずしも知識の放棄を要求しているわけではない。ただし、主張の要点や向きがどこにあるかという意味で、可謬主義という立場は十分に独立している。

 ともあれ、哲学的懐疑主義は、古代懐疑主義にはじまり、ルネサンスを経て、自然科学が成立するまで、常に前から後から横から、とても重要な役割を果たしてきた認識論をとりまく哲学なのである。

 以上の歴史的な経緯を踏まえ、荒っぽくまとめる。

哲学的懐疑主義とは

「 懐疑主義とは、絶対的な真理や基本原理の発見を主張する独断論(Dogmatism)に対し、その普遍性や客観性を吟味し、結果として反対するような認識論の哲学である。
 懐疑主義(Skepticism)は、古代ギリシアで、ピュロンによって誕生した生き方についての実用性を目的とした哲学であった。
 それは、必然的に経験主義的な認識論を提供し、そこから、あらゆる判断の保留(エポケー)を推奨したり、不可知論であったり、あるいは蓋然論であったり、時代や主張者によって、いくつかの立場がある。
 そのなかでも経験論や蓋然論は、
自然に対する知識の獲得について、絶対的な真理という保証が得られないことをきちんと見据え、それでも知の探究をすることで、永久に届かなくとも漸近は可能だという、科学的な態度の哲学を可能たらしめた。」

 哲学的懐疑主義については、我々の関心からすれば、こんな感じということでいいんじゃないだろうか。

 懐疑主義」というと、日本語の場合疑い疑念不信といった意味(英語 doubt のニュアンス)で受け止められがちである。だが、実際は、多分に原義知的な要素のニュアンス含んでいるのだ少なくとも、諜報機関が私を毒殺しようとしているのではないか、とか、全ての親切には裏があるという警戒を抱き続ける精神性は、哲学的懐疑主義とさえ関係ない。

 ただし、哲学的懐疑主義という呼称は、あくまで科学的懐疑主義との区別で用いる。

 そのため、哲学思想史上に登場する種類の懐疑主義は、古代であろうが、イギリス経験論であろうが、ひとくくりに哲学的懐疑主義として区別しておくことにする。

 その定義は、「伝統的な学問としての哲学(狭義の哲学)に入る懐疑主義」としておこう。

 なお、自然科学の成立以降も、20世紀の科学的懐疑主義とは違う、本道の哲学的懐疑主義の系譜は続いているようだ。しかし、私もよく知らないし、さらに興味もなく、自然科学の成立以降の哲学は、関係が遠い。時代としてもいよいよ本番になる。そのため、ここでは、20世紀を代表する、一人の偉大な哲学的懐疑主義者を挙げておくにとどめる。

 その人は、20世紀を代表する懐疑論投票で、セーガンにつぐ4位に選出された4バートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872 - 1970)である。

 ラッセルは、アリストテレス以来、最大の論理学者であり、アインシュタイン=ラッセル宣言や、「ラッセルのパラドクス」で有名だが、私が尊敬する唯一の懐疑主義者(哲学的)である。

 ラッセルの『懐疑論集』(Sceptical Essays)にある「序説:懐疑主義の価値について」で述べる「一つの命題を正しいと考えるべきなんの根拠もない場合、これを信ずることは望ましいことではない」は、健全な懐疑主義について考えていくときに、必ず到達する重要な価値観である。

 そして、いつしか「当たり前だ」という以上の深みを見出すことになる。

 私の場合、そこから「知識は正しい方が良い」という前提を採用していることに気がついた。

 そしてそれこそが、健全な懐疑主義の価値観として、共有されるものだろう。

 なお、哲学懐疑主義に興味のある向きは、おまけをつくっておいたので参照されたい。

 


 脚注

1 2世紀頃に、ピュロン主義の後継者が活躍しだすと、スケプティコイという言葉が―発見よりも終わりなき探求の継続を重視する人々として―懐疑学派(懐疑主義者)を指す意味になったという経緯がある

たとえば京都大学出版会の『ピュロン主義哲学の概要』p405,訳補注より

形容詞skepticosは、動詞skeptesthai(考察する)に由来し、名詞として用いられる場合は元来「考察者」を意味していた。しかし、発見よりも終わりなき探求の継続を重視する人々の登場とともに、この語は「懐疑主義者」を意味するようになる。」とある。

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2 古代の懐疑主義であるピュロン主義 も、アカデメイアを懐疑主義に転向させたアルケシラオス本人の著作はなく、紀元後2世紀頃のセクストス・エンペイリコス(Sextus Empiricus)まとめたピュロン主義哲学の概要が典拠になっている

 アカデメイア(Akademeia)とは、紀元前4世紀、古代ギリシアのアテナイにプラトンが創設した古代世界最大の学校である。
 プラトン自身は懐疑主義者ではなく、というか独断論であるが、紀元前3世紀頃、学頭のアルケシラオス(Arcesilaus)が、アカデメイアを懐疑主義に転向させたという。これを
アカデメイア派懐疑主義という。
 この懐疑主義も、やはり独断論に反対する立場をとり、
絶対の真理を獲得しうる可能性を否定するが、蓋然性による判断を支持した蓋然論だったと伝わっている。
  また、いずれも当人の著作は残っていないが、ピュロン主義哲学は、本人の著作どころか、
セクストスピュロン主義哲学の概要さえ16世紀まで失われていた。それに対し、アカデメイア派の懐疑主義は、キケロの著作を通して伝わっていた。

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3 認識論(真理の有無や、知識は何かとかを扱う哲学の分野)

 懐疑論者の知識(Skeptic's Knowledge) > 認識論(epistemology) での説明を捕捉する。

 認識論は知識論ともいう。採用する世界像によって、合理主義だの経験主義だの呼ばれる。
 合理主義は、真理は外的な実在で、(たとえば数学のように)理性によって認識可能であるとするような立場である。演繹がキモな立場だ。

 
経験主義は、感覚を通して得られる経験こそが認識の源泉だとする。帰納がキモの立場。

 また、経験主義でも立場は異なるものがあり、帰納的推論によって、十分な蓋然性の知識は認めるような、真理への漸近は可能だとするヒュームの立場と、認識は外的世界とはなんら関係のないという立場もある。

 これはつまり、近代の哲学は、ほぼすべて認識論だということを意味する。

 いまでこそ、哲学といえば認識論という感じだが、そういった状況になるのは、16世紀以降である。そしてそういった状況をもたらすのが、(後で論じるが)古代懐疑主義が、16世紀に学問的に再発見されるという出来事なのであった。

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4 「我々が知覚し認識する経験可能な世界は、感覚器官を通して脳が再構築した主観であるからして、完全な客観など望むべくもなく、外界の真なる姿を知ることはできない。」

 当然だが、これは私が現代的に要約したものである。だが、実質上、古代の懐疑論者が述べている世界についての認識は、感覚器官の不確かさを前提としており、これとほぼ同じなのだ。
 セクストス・エイペイリコスのピュロン主義哲学にある認識論については、マイルス・バーニェット(Myles Burnyeat)やジョナサン・バーンズ(Jonathan Barnes)の解釈が一般的であるとされているので紹介しよう。

 「セクストスは、我々の経験(例えば心情や感覚)に関する主張を肯定することはできると考える。すなわち、私はこう感じるとかこういうものを知覚する、という主張Xについて、「Xであるように思われる」と言うことは可能である、と言うのである。しかしながら、このように言うことはいかなる客観的知識も外在的実在も含意しない、と指摘する。というのは、私は「私が味わった蜂蜜は私にとって甘い」ということを知っているかもしれないが、これは主観的判断に過ぎず、蜂蜜そのものについてなにか知っているということにはならないからである。」 『ウィキペディア』 > セクストス・エンペイリコスより。

また、私は知らないが、異なった解釈もあるらしい。

 「マイケル・フレーデ(Michael Frede)は異なった解釈を提示している。彼によれば、理性や哲学や思弁によって辿り着いたのでない信念であれば、セクストスは認める、とされる。例えば、内容にかかわらず、懐疑論者の共同体において信念とされたものなどである。この解釈をとるならば、懐疑論者は神を信じたり、信じなかったり、美徳は善であると信じたりするだろうが、美徳が「本性的に」善であるからそう信じるわけではないのである。」 『ウィキペディア』 > セクストス・エンペイリコスより。

とあるが、いまいち意味がわからない。

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5 近代の自然科学が成立するための不可欠な要素である経験主義

 と書いてみたが、人類が自然科学にいたる道すじは複雑であることも留意したい。
 実質、古代ギリシア・ローマの時代と、15世紀から20世紀の欧米において、真理を指向する全ての立場から、うまくいっている部分が残ることで成立した知的営みを「科学」と呼んでいる、といった方が現実に沿うだろう。

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6 以降の300年ほど「哲学といえば認識論」という状況をもたらした

 標準的な西欧哲学思想史観である。

 「むこう300年の哲学の方向性を決めた」などともいう。

 『懐疑主義の方式―古代のテクストと現代の解釈』ジュリア・アナス、ジョナサン・バーンズ著 岩波書店
 『ピュロン主義哲学の概要』京都大学出版会(p.435)
 『西洋思想大事典』平凡社(「懐疑主義」ポプキン著)など。

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7 ヒューム様は、いわゆるイギリス経験論(British empiricism)の代表格であり、デカルトらの大陸合理主義(continental rationalism)と対比される哲学上の立場にいる。

 合理主義哲学は、17世紀デカルトに始まり、人間は生得的に理性を与えられ、基本的な概念をもつし、獲得する能力がある考え、また、理性の能力を用いた内省を通じて原理の発見にいたることができ、そこからあらゆる法則を演繹することが「真理」の探求方法だとする立場。そこにはスピノザやライプニッツが続く。大陸合理主義という呼称は、イギリス経験論と対比する含みがある。

 経験論はベーコン以来、イギリスで発達し、イギリス経験論と呼ばれる。哲学的唯物論や実証主義であり、「我々の理論は直観や信仰よりむしろ世界についての観察に基礎に置くべきだ」という、科学的方法の核心になっている。戻る

 [哲学的懐疑主義]おまけ

おまけ1

  哲学的懐疑主義について興味のある方は、主要な原典の邦訳をはじめ、資料となる文献が豊富にあるので、それら専門家の解説にあたることができる。

 今回、本文では触れていないが、大陸合理主義になるスピノザ哲学は、かなり面白く『神学・政治論 聖書の批判と言論の自由』(上巻下巻)という面倒そうなタイトルでも面白かったりする。賛同するところも多い。

 主要なものでは『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版から、ヒュームの『人間本性論』は岩波文庫で出版されている。
 ヒュームの『人性論』は全4巻があるが、抄訳が『世界の名著ロック・ヒューム』(中央公論社)に出ている。

 科学的懐疑主義の文脈でも引用される奇蹟批判は、『奇蹟論・迷信論・自殺論―ヒューム宗教論集3』(法政大学出版)に収録。

 デカルトの『方法序説』と『哲学原理』など、西欧哲学思想史の主要な文献は、たいていが岩波文庫から出ているため、入手は容易である。

 哲学的懐疑主義の解説としては、ジュリア・アナス,ジョナサン・バーンズ著『懐疑主義の方式―古代のテクストと現代の解釈』が有名である。

 WEB上では、The Skeptic's Dictionaryのphilosophical skepticism哲学的懐疑論)が秀逸だ。また、ウィキペディアの「懐疑主義」も非常によくまとまっており、調べるためのガイドとして有用である。

 古代の懐疑主義についての専門家による説明では、『人文学論集』第7集「懐疑主義のパラドックス」が著者山口義久氏のホームページで読むことができる。また同サイトには「カルネアデスの懐疑主義」があるため、興味のあるかたは読まれるとよい。

おまけ2

 『方法序説』から

「 …数学にはなかでも夢中になった。その論理展開の確実さと実証性という点で。
 …古代の道徳家たちの考察を見てみると、これは砂と泥まがいのいい加減な基礎の上に建った、そびえ立つ壮大な宮殿みたいなものだ。この人たちは、美徳というのをとても賞賛して、地上のなによりもそれが気高いものだと書きたてる。でもその美徳についてのまともな評価尺度は与えてくれないし、えらく立派な名前をつけているものを見ると、ただの無気力や高慢や絶望や親殺しだったりすることがしょっちゅうある

 神学は崇拝したし、天に到達しようとしてほかのみんなと同じように努力はしてみた。…そういうのをちゃんと検討するには、天国からの特別な助けが必要なのだと思う。そして、人間以上のものにならなくてはならないのだろう。

 哲学については何も言わないでおこう。ただし…そしてさらに、教養ある人たちが掲げるたった一つのことについて、真実は一つしかないはずなのに、矛盾する意見が山ほどあることを考えると、まあそういう意見はどれも実は正しくなんかなくて、「そういうこともあるかもしれない」程度のものでしかないんだな、と思ったわけだ。

インチキ科学については、じゅうぶんに値打ちがわかっていたので、錬金術師の仕事や占星術師の預言、魔術師のおどしや、知りもしないことについてきいたふうな口をきく連中の大風呂敷にだまされるようなこともなかった。」 山形訳より
※太字は引者による。「インチキ科学」と訳した、元のフランス語は知らない。

 また、独断論めいた地点に降り立ったと書いたが、それは、自分の哲学からひとまず出した成果みたいなもので、デカルト本人は、もっとメタな視点で外から考えている。

 『省察』(三木訳)に収録の『聖なるパリ神学部のいとも明識にしていとも高名なる学部長並びに博士諸賢に』という書簡より

 「…もし諸賢においてこの書物に対しまして、まず第一に、それが諸賢によって訂正せられますように、――すなわち、単に私の人間的な弱さのみでなく、何よりもまた私の無知を想起いたしまして、この書物の中に何らの誤謬も存しないと私は確信いたしませぬ。――次に、欠けていることがら、あるいは十分に完全でないことがら、あるいはさらに詳細な説明を要求することがらが、諸賢みずからによりまして、それとも、諸賢から告げられました後に、少くとも私によりまして、附け加えられ、完全にせられ、闡明せられますように…」

 このように、「我思う」などを疑いえない真理として演繹する方法を提唱したが、デカルト自身は、自己修正の重要性を意識していたのである。

 ふたたび方法序説。

※ガリレオの件について
「 わたしが大いに敬意を表し、わが理性が思考に与えるのと同じくらいの権威をわが行動に与えている人々が、ある物理学の説を糾弾したという話をきいた。この学説はある人がしばらく前に出版したものだったのだけれど、わたしはその学説を支持しているとは言わない。でも、こうして検閲される前にわたしが見た限りでは、そこには宗教に対しても国家に対しても、偏向していると思えるようなところはいっさい見あたらなかったし、理性的に考えてそれが真実だと思ったら、そう書き記すことをためらうべき理由はいっさい見あたらなかった。」

デカルトの価値観がわかるところの一つ

「 …他の人がすでにそうした実験を行っている場合、その人々はそれについて、喜んでその人物に伝えるべきではあるのだが(それを秘密にするのに価値があると思っている人々は絶対にそうしないだろう)、実験はほとんどの場合、無数の条件やよけいな要素がくっついてくるものであり、真実と付随的なものとを峻別するのは、とてもむずかしい――さらにその実験のほとんどすべては記述があまりに不十分で、時にはウソが書いてあったりするので(というのもそれを記述した人たちは自分の原理原則にあてはまるような事実だけをそこに見ようとしたりするから)、全体の数字の中にはなにかその人の目的に会うような性質のものが含まれているかもしれないけれど、その価値は、それを選り分けるのに必要となる時間に見合うものではない。」

『哲学原理』から

「 この懐疑を実生活にまで適用してはならない、ということ。

 この懐疑は、真理の観想だけに限らなくてならない。なぜかというに、実生活においては、私たちが懐疑から脱し得ないでいるうちに、行動すべき機会が去ってしまうことが実に多いので、単に真実らしいというだけのものでも容認せざるをえないという場合も稀ではないし、のみならず、二つのうちどちらが他方よりも真実らしいか決まらないという時でも、どちらか一方を選ばねばならない場合さえあるからである。」

「 疑わしいものに同意することを禁じ、それによって誤謬に陥るのを避けることが出来る、自由意志が私たちにはある、ということ。」

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