信じ込み症候群
(true
believer
syndrome)とは、それが、ただのインチキだったということが決定的に証明され、しかも、明らかにそれを現実として認識したはずなのに、引き続きインチキを真実と
して認識
する認知障害である。
信じ込み症候群は、受け入れ難い現実に直面したときに
現実を否認してしまうことではない。
信じ込み症候群は、「虚偽」であることを理解し、認識したはずなのに、その虚偽を真実と見なす現象であり、現実逃避や否認といった、自己欺瞞的な反応よりも、異常さと不健全さが突出している
のである。
それは「否認」ではなく
「虚偽失認」と表現した方が適切なほどなのである。
といっても、一般化した説明だけでは理解しにくいので、まず実例を知った方が早いだろう。
そもそも
は、信じ込み症候群(true
believer
syndrome)とは、売れっ子の職業霊媒だったラマー・キーンが、改心した後に書いた『サイキック・マフィア』において表現した
ものである。
ラマー・キーンは、米インディアナ州にあるキャンプチェスターフィールドで、
インチキ霊媒として荒稼ぎを続けていたの
だが、だんだん良心の呵責に苦しみ
、
ついに、自分の顧客に、自分
たちのインチキを完全に告白し、洗いざらい暴露して清算しようとした
。
ところが、
そのときに
ラマー・キーンが想像だにしていなかった異様な事態に至ったのである。
そこで『サイキック・マフィア』から当該場面を引用しよう。
次の引用箇所は、評議会の場――つまり信者
(顧客)と同僚
(詐欺師)の前で
、この霊媒キャンプは、自分を含め、全てがペテンであることを徹底的に暴露し、告白した場面の続きである。
ラマー・キーンの暴露が決定的過ぎたため、相棒だった
インチキ霊媒のラウール
も、言い逃れをあきらめ、
全てがインチキで、皆を騙して
きたということを認めざるを得なくなったのだが…。
「 一人の女性が声を張り上げていった。
「悪いけど、わたしはあなたの意見に賛成です。わたしの霊たちは、もし正しくないことなら、それにかかわってはならないと、あなたを通じて教えてくれましたからね」
(この驚くべき発言―わたしが「霊たち」について真相を打ち明けたばかりだということを考えれば驚くほかない―を聞いてわたしは言葉を失った。わたしは、この人たちはみんな頭が完全にイカれているのだろうかと思った。)
べつの女性が立ち上がって、自分も賛成だといった。
「なんとしても、この状態は変えなければなりません」
わたしの意見を支持してくれたのはこの二人の女性たちだけだった。
「ラウールの決めたことがなんであれ、それがわたしたちの望むことなのです」と一人の女性はいった。
「さっきあんな話を聞いたのに?」わたしは相手をさえぎった。
「ラウール本人がここにいるみんなの前でそれを認めたのに?」
・・・略
わたしは打ちのめされた。
人々に嘘を信じこませるのがいかに簡単かは知っていたが、同じ人々が、嘘をつきつけられたとき、真実よりも嘘を選ぶとは予想していなかった。
評議会のメンバーの一人で、教会に加わるためにわざわざオハイオ州から引っ越してきて、金や資産をおしみなく寄付していたジョージ・マザーンは、ラウールに「きみは自分がわたしをだましていたというつもりかね?」とたずね、その答を得た。
「そのとおりです、ジョージ」
しかし、このあとも彼はラウールの隣の席に座りつづけ、いまでもなお熱心に心霊主義を信じている。」
いかがだろうか…この状況下において、これまでの「霊の言葉」に従ってラマー・キーンについた女性のイカレっぷり。そしてペテンを認めたラウールに従い続ける者…
こういった人々と比較すれば、ラマー・キンの主張を非合理な頑迷さによって受け入れず、否認して霊媒キャンプに留まる人々の方が、愚かではあるが、まだ、理解は可能である。
こうした信じ込み症候群が、強烈な認知障害の一つであることに疑念の余地はない。
ラマー・キーンは、この現象をして次のような疑問を発している。
「健全な人物が幻想や詐欺に夢中になって、いんちきが白日の下にさ らされた後でさえ信じ続ける―実際には以前よりさらに頑固に執着する―それはいったいなぜなのだろうか?」
たしかに、こうした症状を呈する人々が、社会的にも知的にも正常な範囲の普通人であることを考えると、理解に苦しまざるを得なくなる。
現状にあっては、人間の心の内面を、高い精度で客観的に観察する方法がないため、この人達に何が起きているのかを理解することはとても難しいが、ある程度までは、認知心理学的な考察によって説明することができるかもしれない。
というのも、この事例は、フェスティンガーの認知的不協和理論を有名にしたカルト教団の信者達のケースと高い類似性があるからだ。
認知的不協和理論というのは一頃はかなりもてはやされた理論で、よく考えると普通のことでもある。簡単に言えば、人間は、自分がすでにもっている認知と、不協和関係にある認知に出会うとき、その不協和を軽減または解消するような認知の機能が働くということである。
中部大学の武田邦彦教授を「科学の良心」として信奉していた人が、その不誠実さに直面したときに、「御用学者よりマシだ」と無関係な認知を持ち出して、脊髄反射的に主張するのも、認知の不協和関係を軽減する方法の一つになっている。
フェスティンガーが調査したケースでは、インチキ教祖による、教団の根幹や存在意義にかかわる重要な終末予言が、当日を迎えることで見事に外れたとき、信者は、脱退するどころか、なぜか以前よりも教団に執着し、前にも増して献身的に教祖を信込み続けたのである。
不協和の度合いが大き過ぎると、反動で以前よりもそれに執着するという現象すら起きるのだ。また、不協和の程度が小さいならば、その軽減策として、自分の認知を修正すれば良いだけなので容易であるが、人生と全財産を注ぎ込んだという現実が、天秤の片側にあるとき、不協和の軽減策が、しばしば常軌を逸してしまう事態が起きても、なんとなく納得できる。
だから、もしかしたら、私たちが日常生活で目撃する範囲では、この人たちほど強い認知的不協和にさらされる人を見る機会がないだけで、もし、そういうことがあれば、似た事例を目撃する機会があるかもしれない。
つまり、信じ込み症候群は、不協和関係が滅多にないほど強烈で、一線を越えてしまった場合に確認される、比較的普通の認知的不協和の軽減策の可能性はある。
ただし、仮に、こういった不思議な挙動が、認知的不協和理論で説明できたとしても、少しだけ理解を助けてくれるに過ぎない。それは、「異常さ」の原因を真に説明したことにならないだろう。そこには、もっと私たちが理解できるであろう、繊細な仕組みがあろうことは、容易に想像できる。
私には、信じ込み症候群の不合理は、ただの認知障害というよりも、脳神経科学で扱われているような、脳疾患の極端な症例にこそ酷似しているように思えてならない。
詳細は別項にするが、脳の特定の部位を損傷してしまった患者などに散見される症状は、知性という面では正常なのに、なぜか、右腕の麻痺など、嫌でも現実として認識せざるを得ないはずの症状について「普通に動いている」という認識で話をする不思議な症状が起きる。
ときには、10分かけても靴紐を結べなかったのに、後で靴紐を結べたか質問すると「はい、簡単でしたよ」などの作話をすることさえあるのだ。
そういったケースを見ていくと、脳内の深いところで、右腕は正常だという認知が生きており、それと反する「右腕が動かない」という、外界からのフィードバックに対して、脳の奥に住むゾンビが、荒唐無稽な否認や作話をさせているかのようである。
その様子は、人間が誰しも持つ自己欺瞞を、何千倍にも強化したという表現がぴったりで、しばしば、信じ込み症候群を想起させる事例もある。そして、トゥルービリーバーは明らかに健常者であるように、そうした脳疾患の患者も、そこだけを除外すれば健常者と変わりないのである。
そういったわけだが、脳と信じ込み症候群の関係についてはさておき、こういった現象があることは、知っておいて損はないと思う。とても不思議だ。