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世俗的ヒューマニズム
(Secular humanism)


 世俗的ヒューマニズム(Secular humanism)とは、科学的ヒューマニズム(scientific humanism)とも呼ばれ、理性や倫理、道徳的な健全性を支持するヒューマニズム思想の一つである。

この立場を要約すると、人間は、聖書における神の無謬性(誤り得ない)を信じたりせずとも、ニヒリズムに陥ることなく、前向きでいることができ、神や超自然の存在とは関係のない、ただ人間として、道徳的に良くあろうとする、ストイックで前向きな人間中心主義といったところである。

ちなみに「世俗的」(Secular)という言葉は俗物」というニュアンスは一切含まず、アメリカ建国の父たちが採用したような、啓蒙主義を踏まえた政教分離の原則―世俗主義(Secularism)―と同じ意味での「世俗的」であり「非宗教的」という表現も遠からずである。

また「ヒューマニズム」(Humanism)は、私たち日本人がイメージする一般的な日本語のそれ、つまり「人道主義」や「博愛主義」というのは「ヒューマニズム」ではなく、それは、本来的に別概念であって、「Humanism」ではなく「humanitarianism」であるので、誤解してはならない。

世俗的ヒューマニズムが成立した背景には、キリスト教的ヒューマニズムの存在がある。

とりわけ、信仰と道徳が不可分であるということが常識のキリスト教社会で確立された、善と人間性の尊重という思想的立場は、社会的に尊敬を受けるに値する立派な思想の実践であっても、しばしば、独善的であるし、同じくらい立派で道徳的な誇り高い無神論者も存在する。

そのため、20世紀も中盤を過ぎると、理性や倫理、道徳的であることを支持しながらも、それらの起源を、超自然や神(実際的には聖書)に求めることは不健全であり、非合理であると考える立場も市民権を得ていくことになる。そこで、ヒューマニズム思想を宗教から切り離した思想が、世俗的ヒューマニズムなのである。

ヒューマニズム思想を世俗化した功績は、20世紀の無神論の哲学者ポール・カーツ(Paul Kurtz)の功績に帰するところが大きい。

この立場は、科学という方法と、科学の知識体系に妥当な信頼をおくという意味で科学的であるし、非宗教的という意味で、世俗的である。このことから、必然的に、世俗的ヒューマニズムは、疑似科学や超常現象を関心領域とする懐疑主義と親和性が極端に高い。

というのも、ヒューマニズムを世俗化したポール・カーツは、1976年に科学的懐疑主義の活動を本格化させたCSICOPの発起人でもあり、さらに言えば、AHA(American Humanist Association)が発行している、ポール・カーツ編集の『Humanist』誌は、CSICOPが軌道に乗るまでは、疑似科学・非合理批判の主要な媒体であり、CSICOPの原点でもあったのだ。

ポール・カーツ自身はCSICOP設立以降、1980年になるとCSH(Council for Secular Humanism)という、世俗的ヒューマニズムの団体を新設し『Free Inquiry』という機関誌を発行するなど、世俗的ヒューマニズムの普及に努めている。

なお、ポール・カーツ個人については、理念と活動の不一致などが指摘され、一部からは「哲学者としてはシャーリー・マクレーン程度」などと酷評されることもあるが、『humanist』誌に掲載された論文を読むと、非常に素晴らしいので、正当に評価すべきである。※私が知る限り、ポーツ・カーツの論文が日本語で読めるのは『サイの戦場』に収録されている論文のみだが。

なお「Secular humanism」という言葉ができたのは20世紀だが、純粋に思想的な意味で考えると、アメリカ建国の父の一人であり、史上最も偉大なアメリカ大統領とされるトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)などが最初期の世俗的ヒューマニストということになりそうだ。

その他、世俗的ヒューマニストとしての著名人には、アーティストや作家、政治家などもいるが、科学と懐疑主義に関連した人物を挙げておこう。

リチャード・ドーキン(Richard Dawkins)

理論進化生物学者で純粋なる無神論者。神は妄想である』で論じている思想性は、まさに世俗的ヒューマニズムによる人間賛歌という内容であり、必読の名著である。

カール・セーガン(Carl Sagan)

天文学者にしてCSICOP創立メンバーの一人。世界的大ヒットを果たした『Cosmos』を代表に、生前は、アメリカで最も有名な科学者だった。セーガンの思想性については、なんといっても最期の著作となってしまった『科学と悪霊』(現題:The demon hauted world science as a candle in the dark)である。

カール・セーガンに対する科学の良心という評価は、まさしく妥当であり、晩年の思想性は感動的なまでに世俗的ヒューマニズムなのである。セーガンもまた、ジェファーソンなどアメリカ建国の父を尊敬し、科学的方法の素晴らしさを訴え続けた人物だ。

私の場合は、とくにこの両者とバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)を、世俗的ヒューマニストとしてのみならず、懐疑論者としても人間としても思想家としても敬愛している。

もちろん、他にも、尊敬すべき世俗的ヒューマニストはたくさんおり、ドーキンスの友人でもあり、心の哲学に関してAI不可能論に対する代表的な敵対者ダニエル・デネット(Daniel Dennett)、説明不要のアイザック・アシモフ(Isaac Asimov)、そしてCSIと並ぶ懐疑主義団体Skeptic Societyの代表マイケル・シャーマー(Michael Shermer)なども世俗的ヒューマニストである。

ポール・カーツ以前でヒューマニズムを世俗化する役割を果たしたのは、かの「ダーウィンのブルドッグ」ことトマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley)の孫にあたるジュリアン・ソレル・ハクスリー(Julian Sorell Huxley)なども名前が挙がだろう。

このように、立派で尊敬すべき信念をもった偉人が並んでおり、私たちが考える健全な懐疑主義の倫理的側面は、ニヒリズムではなく、世俗的ヒューマニズムなのだということが、強く実感できるラインナップでもあろう。



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