AX 懐疑論者の祈り Skeptic's Profile wakashimu

 

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Wakashimu 34歳

 1976年東京生まれ。ワカシム(wakashimu)とは、昔、YAHOO掲示板でビリーバーさんたちと議論をおこなっていた頃から使用しているハンドルネーム。疑似科学や超常現象の懐疑的な研究を中心に、知的好奇心の追求が私の関心です。

無神論者であり、世俗的ヒューマニストあり、愛妻家であり、愛国者であり、健全な懐疑主義の実践を、意識的に努力し続ける大衆のなかの懐疑論者です。

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自己紹介

 1976年東京生まれの高卒。高校は、18歳で無事に卒業できましたが、卒業後は、当たり前のように、非合法なトルエンの売り子として働き、他のドラッグの売人や、偽造クレジットカードを換金する仕事や、パチンコ屋のサクラなどをしていました。 

そのように、反社会的な人生を歩み出していた私は、生来の生真面目さもあり、真剣に取り組んだ結果、その道では出世街道を歩んでいました。

もっとも、そうした生活のなかで、成人する直前、19歳の頃に、些細なミスで逮捕され、練馬区の東京少年鑑別所に一ヶ月ほど拘留されたこともあります。二年間の保護観察で済みました。

当然、出所後も更生することはなく、成人した私は、相変わらず新宿歌舞伎町に常駐する生活を続け、より本格的に職業犯罪者への道を歩み出していたのです・・・。

それにしても、私は何故そうなったのでしょう。

私が育った環境、家庭は、最上だったとは言えませんが、少なくとも私の周りにいた人々と比較すれば、まともな家庭で、愛情を受けて育ってきました。どうして、そこまで転げ落ちるのか。

確実なことは、当時の私がいた環境では、朱に交わって朱くなると、かつての自分であれば、恐れや抵抗や罪悪感を抱いたはずの局面にあっても、何も感じなくなってしまうということです。

さらに、私は、そうした異様な社会的価値観に染まってはいましたが、人を裏切ること、卑劣なこと、弱者を挫くこと、嘘、筋の通らないことを忌避し、自分の非を軽視せず客観性を優先することなど、小学生の頃から時間をかけて培ってきた、私だけのモラルは失っていませんでした。

そうした、自分だけのモラルは、後に私が社会復帰を果たし、前を向いて歩きだすために必要な性根でもありましたが、同時に、当時の私にとっては、違法行為であろうが「自分の良識に反する卑劣なこと」でなければ、後ろめたさや罪悪感など微塵も感じさせないという、負の役割も果たしていたのです。

つまり、完全な違法行為であっても、自分の良識に反することでなければ、問題があるとは思わなくなってしまうため、自省の余地がないのです。

そんな私が更生したきっかけは、それまでの生活とは全く関係のない数本のビデオでした。

それは、久しぶりに自宅にいるとき―たしか22歳だったと思いますが―どういうわけか、姉がツタヤで、NHKスペシャルの『アインシュタインロマン』全6巻を借りてきていたのです。

2歳上の姉は、特別に教養があるわけではありませんが、密かにドキュメンタリーが大好きという特質を持っており、しばしばナショジオや『ニュートン』の特集号を買っているなど、知的好奇心が旺盛な人間ではありました。

そして「これ面白いよ、あんたも観る?」ということで、姉と一緒に鑑賞することにしたのです。

すると、これが非常に面白く、衝撃でもありました。

私がとりわけ夢中になったのは、アインシュタインが1905年に提出したという特殊相対性理論なる、人生で一度も耳にしたことのない物理学の理論と、その帰結でした。

なにせ、特殊相対性理論によると、時間は絶対なものではなく、ある人にとって1年しか経過していないのに、ある人にとっては2年が経過しているというような事態が起きるというのです!

本当に驚愕でした。

なぜなら、私は時間の絶対性を、もの凄い強さで信じ込んでいたからです。

私もまた、多くの人がそうであるように、子供の頃、宇宙の端は?時間って何?時間の前ってありうる?など、そういったお題を漠然と考えていた経験があります。

当然、それらの問題は、何か確信できる結論が出せるはずもありませんが、ただ、「時間」について考えるにあたって、「宇宙のどこでも誰にとっても時間だけは絶対」という絶対時間の概念だけは、確かな足場になる絶対的真理だと確信していたのです。なんでか知りませんが。

しかしながら、それほど強固に、絶対的真理だと確信していた時間の絶対性が誤りであるということを、約100年も前に科学が発見していたことを知り、私は衝撃と同時に、猛烈な好奇心を抱いたのです。
(余談ですが、絶対的に真だと確信していたことが誤りであった、という経験は、現在も、絶対確実だと信じていることでも、マレに覆る可能性があるのだ、という戒めとして、心に刻んでいます)

時間の遅れに大興奮の私は、その日のうちに全巻を観ました。もの凄くわくわくしました。

私にとって、それは体験したことのない強烈な知的興奮であり、純然たる知的好奇心の充足という新しい歓喜を、比類なき力強さで教えてくれました。

なにしろ、中学生1年生の数学で停止していた私が、より正確に、より深く、より体系的に理解したい、理解しなくてはもったいない!とさえ思うようになっていたのです。

そうです。

この『アインシュタインロマン』―とくに特殊相対性理論による時間の遅れ―との出会いが、私にとって人生の分岐点となり、その後の生き方を変えることになる科学との出会いでした。

ところが、ご想像のように、
10代を無為に過ごした私は、全く学がありません。

だから、まずは、時間が遅れる理屈をきちんと理解しようという、ささやかな目標を立てました。

結局、あれこれ悩みながら、理解したと確信できるまで2〜3日かかりましたが、異なる慣性系でも光速だけは同じ速度で観測されるという原理が、なぜ時間の遅れを要求するのか、仕組みが理解できました。ささやかな目標でしたが、なんとか達成できたのです。

ただし、私にとって、相対性理論のことを考えていた時間は、あまりにも楽し過ぎました。

また、時間の遅れる仕組みを検討する作業の間、時間の遅れる量だけならば、計算できそうなと感触があり、私は、次の段階として時間の遅れだけでも計算しようと思い立ちました。

そう、自力で方程式式を作る過程に踏み込んでいたのです。あれこれ考えているうちに、それもできそうな気がしたのです。中学生の数学の半分も習得していない乗法公式程度のツールで。

・・・無謀でした。

いい歳をして、中学生用の数学の参考書を購入したのですが、難しくて、結局は小学生向けの算数の教科書を購入する羽目になり、改めて勉強し直すことにもなりました。

平行して、ばしば背伸びをしすぎて失敗することもありましたが、ポール・デイビスワインバーグなど、素人でも読めそうな物理学の啓蒙書や、参考書を頼りにに勉強を続けました。楽しくて止められないのです。

そのような日々を送り続け、やっとローレンツ変換を導けるようになり、時間のt軸と空間のy軸で、t軸に沿って運動する慣性系を基準とし、一方を、超加速してから慣性運動を続けてから静止系(基準)に合流するという図式で、双子のパラドックスがどうなっているのかを確認し、心の底から納得しました。
私は、大いに満足して、ここでひと段落しました。
(なお、ここに酷く高い山があります。二つの慣性系だけで特殊相対論を理解した気になると、双パラについて、お互いの時間が遅れあう、合流時には時間の遅れがない、一般相対性理論が必要である、などの誤った結論に陥ります)

ところが、これまた、そこにいたるまでの日々が、極端なまでに充実した楽しい時間でした。気がついたら数時間が経っていたという毎日だったのです。
もはや、物理学ばかりか、科学を中心とした知的好奇心の充足に、すっかり夢中でした。

歩くときも、食べるときも、関連本を読むような生活になっており、所持金も全て本を買うために遣い尽くしました。もはや、歌舞伎町の生活はどうでもいい、という感じで、全ての交友関係を絶ちきった状態でしたが、孤独を憂う気持ちは皆無で、逆に、眠る時間さえ惜しくなるほど楽しかったことを覚えています。

そして、新しい知的興奮に次から次へと遭遇する毎日は、とても充実したもので、いつしか私は、心境も変化していました。

とくに、先人が成し遂げた体系的な知識のエッセンスを、簡単に垣間見ることができる時代に生まれ、義務教育によって読み書き算盤を身に付け、いまからでもやり直せる時代と環境に生まれ育った幸運に想いを馳せるようになり、敬虔な気持ちになりました。

そうした、心の変化をもたらした理由も、はっきりしています。

私にとっては、多くの書を通じて接する、科学者たちのエピソード、知的好奇心、審美観、ユーモア、教養、真実を希求する姿勢、そして、善き人間であることが当然であるかのような姿が、あまりにもまばゆく感じたのです。

それは、今から振り返ると、ある程度、立派な科学者ならば備えている教養と、普通のモラルという範囲でのことだったとは思いますが、それでも、当時の私からすれば、人はかくも健全で美しい精神を持って生きることができるのかと、強い感銘を受けました。

少なくとも、社会的な意味での悪であることが標準だった社会にいた私にとって、書を通じて見えてくる科学者たちの態度に、人間精神の理想的なあり方を垣間見た気がしたのです。

おそらく、そう感じた背景には、日本で生まれ育った私に残存していた良識の源泉が、自然主義の世界観や世俗的ヒューマニズムと親和性が高いものであり、だからこそ、科学者の世界観や価値観が、私の琴線に触れ、宗教的回心と同等の変化をもたらしたのでしょう。

だからこそ、いつしか私の倫理観は、信仰などの動機付けを必要とせず、自信の良識に沿ってただ人として善くあろう、正しくあろうとすることが、自然なことなのだと思うようになりました。

そして、今からでも遅くない、前を向いて人生をやり直し、正しく生きよう、そして真っ当な収入を得て、大学にいかなった分の知識や教養を取り戻し、知的好奇心の探究に、もっともっと時間を費やしたい、それから先のことは判らないが、とにかくそれができれば自分は幸せだ――そんなふうに想うようになっていたのです。

私が、自分のそうした変化を認識した時期は、食べるときも歩くときも、睡眠と本屋に入るとき以外は、読書と学習に時間を費やす日々が1年は過ぎていたと思います。

また、そうした日々のおかげで、私は、自分で主体的に考えることや、分からないことを分からないとして認め理解するために努力すること、少なくとも知的領域では面倒くさいと思わず(掃除や買い物は面倒くさがりですが)意識的に努力することを身につけていました。

だから、自分には学がないし、23歳になろうかというのに普通の社会人経験もない、スタート地点から遅れているという現実を直視し、人より不足している分を全力で補って頑張り、一般の社会人に追いつこうという覚悟を決めて派遣会社に登録したことを覚えています。

当時、私は四大卒の人々の多くは、啓蒙書を書いている科学者たちと近いような基礎知識や一般教養を身に付いていて、
自分なんかが足元にも及ばないのだろうと思い込んでいたのです。

そうした激しい誤解と共に始まる私の社会人経験は、大手携帯会社のショップから始まり、衛星放送のコールセンター、ISPやCATVのテクニカルサポートセンターなどで経験を積み、30歳になってからは、公益財団法人の期間限定助成事業を運営する事務局の管理者なども経験することができました。

当然、社会人としての生活からも、
いろいろなことを身につけることができましたが、それでも、勤務時間を除けば、私にとって、読み学び考える生活の維持こそが中心にあり続けました。

もちろん、そうした生活は、好きでやっているわけですが、必ずしも愉しいことばかりではありませんでした。たとえば、参考書を読みながら二次関数の勉強をするときに、本気で学習塾に通うか悩むほど能率に難があると感じたとき、あの不毛な感触は、なかなか辛いものです。けれども、それでもやはり、広い視点で振り返れば、好きだからこそやっていたわけです。

そして、いつ頃でしょうか、ふと、自分の居場所に注意を向けたとき、私は社会の一員として生活していたことを自覚しました。

そのため、私が社会復帰するまでの道は、確固たる意志を貫き、更生した漢の物語ではなく、ただ、知的好奇心に導かれる格好で、他の全てを犠牲にしながら好きな道を歩み続けていたら、ある日あるとき、ふと振り返ると、結果として社会復帰を果たしていたということでしかありません。


遥か13年前に、特殊相対性理論に好奇心を刺激されることで始まった私の道のりは、懐疑主義や妻との出会いを経て、今日にいたるも途切れることなく延び続けています。

その道程は、あまり立派ではありませんが、私にとっては、懐疑論者としての矜持でもあり、大事な原点でもあるのでした。

おしまい

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