AX 懐疑論者の祈り Skeptic's Profile wakashimu

 

Information 懐疑主義関連 個別案件情報 懐疑論者FAQ その他の話題 懐疑主義的LINK Skeptic's Profile
 

 
 
Wakashimu 34歳


 1976年東京生まれ。
ワカシム(wakashimu)とは、昔、YAHOO掲示板でビリーバーさんたちと議論をおこなっていた頃から使用しているネット上でのハンドルネームです。

 自己紹介:履歴編  かつて職業的犯罪者だった自分が社会復帰するまでの話
 懐疑論者の脳梗塞体験記   2011年1月脳梗塞で半身麻痺から奇跡の回復をした体験記

自己紹介


はじめに

 1976年2月、東京は墨田区に生まれ落ちて三十余年。

私は、熱心な無神論者であり、世俗的ヒューマニストであり、愛妻家であり、愛国者であり、健全な懐疑主義の実践を意識的に努力し続けている一人の懐疑論者です。

そんな私は、高卒で学歴もなければ、財産もありません。いや、それ以前に、かつての私
は、高校在学中から進学も就職も目指すことなく、卒業してからはドラッグの売人に始まり、新宿の歌舞伎町に常駐する生活をしながら、本格的に職業的犯罪者として生きていくつもりでした。

しかしながら、22歳の頃に、科学的な知的好奇心を刺激される体験が奇縁となり、好きなことを続けているうちに、気がつけば社会復帰を果たしていました。

社会復帰後、私の人生は激変したといっても過言ではありません。大手携帯会社に始まり、衛星放送、ISP、CATVなどのテクニカルサポートセンターで経験を積み、しばしばSV(スーパーバイザー)などの役職に抜擢されるようにもなりました。30歳になってからは、公益財団法人の助成事業を運営する事務局の管理者なども経験することができ、高卒派遣社員のなかでは、良いキャリアを積むことができました。

もちろん、同年齢の真っ当な社会人と比較すれば、誇れるキャリアも社会的地位もありませんが、人生をやり直すことは出来たと思います。

ここでは、反社会的な集団のなかで職業的犯罪者の道を歩んでいた自分が、なぜ、どのようにして立ち直り、懐疑論者としての今にいたるのか、その自分史の一部を記述することで、一つの自己紹介にしたいと考えます。なぜなら、それは私の原点であって、初心でもあるからです。

職業的犯罪者の時代

 それは20年近く前のことです。若き日の私は、高校在学中からドラッグに対する並々ならぬ関心を抱いていました。そして、当時からすでに反社会的な集団の人々とも交友を深めていたことから、高校を卒業するや、当然のように非合法なトルエンの売り子を始めていました。

以降も、反社会的集団のなかで暮らし、各種
ドラッグの密売から、偽造クレジットカードの換金、パチンコ屋のサクラの打ち子などをしながら収入を得ました。

しかも、困ったことに、私には生来の生真面目さがあり、それが犯罪であろうが、良いことであろうが、ゲームであろうが、真面目に最高を追求し、一生懸命取り組む性分があります。

そのため、ドラッグの販売についても、利益率を追求した価格設定や売り子の報酬制度にいたるまで、真剣に収益増に取り組みました。

また、私の場合は、他の売り子と違い、売り上げを盗みませんし、経理に必要な計算能力もありました。そのため、1年もすると仕事ぶりが評価されるようになり、ついには、好条件で別組織へスカウトされるなど、その道では出世街道を歩んでいたのです。

そうした生活を続けるなか、19歳のときに、些細なミスで逮捕されてしまい、練馬区の東京少年鑑別所に一ヶ月ほど拘留されたこともあります。ところが、事情聴取をとぼけ続け、売人ではなく客を装った供述を続けたところ、それが採用され、二年間の保護観察で済んでしまいました。

当然、出所した後も更生することはなく、成人した私は、相変わらず新宿歌舞伎町に常駐する生活を続け、より本格的に職業犯罪者への道を歩み出します。

それにしても不思議な話です。どうして私はそこまで道を踏み外したのでしょう。

もし、何か単一のきっかけでもあったのならば分かり易いのですが、現実としては、当時の新宿歌舞伎町という独自社会と、様々な縁と個人の気質が入り混じった結果として、私は場違いながらも、その場所にいたに過ぎません。

なにより、当所の私には、私なりの倫理観があり、私は自分が道を踏み外しているとは思っていませんでした。だからこそ、悪の道を歩んでいるという後ろ暗さがありませんでした。

そのため、強いて原因を挙げれば、倫理観の麻痺かもしれません。

確実なことは、当時、私がいた環境で、朱に交わって朱くなると、かつての自分であれば、恐れや抵抗や罪悪感を抱いたはずの局面にあっても、遅かれ早かれ何も感じなくなってしまうということ――つまり、倫理観が完全に麻痺するということです。そして、それは一人の人間が道を誤るためには、十分な原因になるということです。

知的好奇心との出会い

 18歳から、ひたすら犯罪者としての道を歩んでいた私が、なぜ立ち直ったのでしょうか。これに関しては、明確なきっかけがあります。

それは、当時の生活とは全く関係のない、数本のビデオでした。

あれは22歳だったと思いますが、久しぶりに自宅にいるときのこと、姉がツタヤでNHKスペシャルの『アインシュタインロマン』全6巻を借りてきていたのです。

2歳上の姉は、教養があるわけではなく、むしろ10代の頃は己を着飾ることにのみ脳を使っていたという人ですが、密かに、ドキュメンタリーが大好きという奇妙な性質を持っており、しばしばナショジオや『ニュートン』の特集号を買っているなど、知的好奇心が旺盛な人間でした。

そして「これ面白いよ、あんたも観る?」ということで、姉と一緒に鑑賞することにしたのです。

すると、これが非常に面白く、衝撃でもありました。

私がとりわけ夢中になったのは、アインシュタインが1905年に提出したという特殊相対性理論なる、人生で一度も耳にしたことのない物理学の理論と、その帰結でした。

なにせ、特殊相対性理論によると、時間は絶対なものではなく、ある人にとって1年しか経過していないのに、ある人にとっては2年が経過しているというような事態が起きるというのです!

本当に驚愕でした。

なぜなら、私は時間の絶対性を、もの凄い強さで信じ込んでいたからです。

私もまた、多くの人と同じように、子供の頃、暇つぶしの一つとして、宇宙の端は?時間って何?時間の前は?など、そういったお題を考えていたことがあります。校長先生の長話や説教の間、静かに時間を過ごすには、とても適したお題です。

なにしろ、それらの問題には、確信できる結論が出るはずもないのです。ただ、私は、それらのお題のなかで、「時間」についてだけは、一つだけ確実な足場があると思っていました。

それが「宇宙のどこでも誰にとっても時間だけは絶対だ」ということです。

つまり、ニュートン力学でいうところの「絶対時間」(当時の私は、このような表現を知っていたわけではありませんが)だけは、「時間」について考える場合、唯一の確かな足場であり、絶対的な真理の一つなのだと強く確信していたわけです。

しかしながら、それほど強固に絶対的真理だと確信していた「時間の絶対性」が誤りであるということを、約100年も前に、科学が発見していたことを知り、私は衝撃と同時に、猛烈な好奇心を抱いたのです。
(余談ですが、絶対的に真だと確信していたことが誤りであった、という経験は、現在も、絶対確実だと信じていることでも、マレに覆る可能性があるのだ、という戒めとして、心に刻んでいます)

時間の遅れという概念を知り、とにかく大興奮だった私は、その日のうちに全巻を観ました。

もの凄くわくわくしました。

当時の私にとって『アインシュタインロマン』は、かつて体験したことのない強烈な知的興奮と、純然たる知的好奇心の充足という新しい歓喜を、比類なき力強さで教えてくれたのです。

私は必然的に、特殊相対性理論の「時間」を、より正確に、より深く、より体系的に理解したい、理解しなくてはもったいない!とさえ思うようになっていました。

そう、この『アインシュタインロマン』との出会い、とりわけ特殊相対性理論による時間の遅れとの出会いが、私にとって人生の分岐点となり、その後の生き方を変えることになる科学との出会いでした。

ところが、ご想像のように、
10代を無為に過ごした私は、全く学がありません。

だから、まずは時間が遅れる理屈をきちんと理解しようという、ささやかな目標を立てました。

結局、あれこれ悩みながら、理解したと確信できるまで2〜3日かかりましたが、異なる慣性系でも光速だけは同じ速度で観測されるという原理が、なぜ時間の遅れを要求するのか、仕組みが理解できました。ささやかな目標は、なんとか達成できたのです。

また、そればかりか、時間の遅れる仕組みを理解する作業を通じて、特殊相対性理論が要求する「時間が遅れる量」だけならば、計算できそうな感触もあり、私は、次の段階として時間の遅れだけでも計算しようと思い立ってしまいました。

幸いにも、私はスロットの確率計算や、ドラッグ売買の経理、それらの最適な価格設定を検討した経験などがあり、数字に対する苦手意識はありませんでした。それに、幸いにも「代数」の概念が脳内にあったおかげで、なんとか歩き出すことはできそうでした。

また、特殊相対性理論は
イメージほど難解ではなく、アプローチがいろいろ思い浮かぶため、計算に向かう過程が面白くて仕方なかったのです。とはいえ、当然ながら、ニ歩目を踏み出そうとするや、あっという間に壁にぶちあたります。

当時の私は、中学生の頃に習った乗法公式と、時間や距離の公式といった貧弱なツールしか持ち合わせていないため、時間の遅れを方程式にするという行為は、困難…というよりも、公平に評価するならば「あまりにも無謀」だったのです。

そのため、先へ進むべく、意を決して中学生用の参考書を購入しました。

ところが…情けないことに、それは難しすぎました。

結局、中学数学を勉強するために、小学生の算数の教科書を購入する羽目になりました。

なんという恥ずかしい買い物か。思わず「贈答様の包装で」などと言いそうでした。

また、私の関心は、あくまで特殊相対性理論に向いていましたので、小学生や中学生の参考書で基本をやり直しながら、平行して、ポール・デイビスワインバーグなど、素人でも読めそうな物理学の啓蒙書を読み進め、物理学の概念や哲学について理解を深めていきました。

そういった過程では、背伸びをしすぎて失敗することもありましたし、今から振り返ると、必ずしも楽しいことばかりではありませんでしたが、それでも、当時の私にとって、相対性理論と時間について考えることは、猛烈に楽しく、他には何もする気が起きない――というよりも、夢中のあまり気がつくと数時間が経っていた、という日々を過ごすことになっていたのです。

そのような日々を送り続けて数ヶ月、やっとローレンツ変換を導けるようになり、時間をt軸、空間をy軸にとり、一方の系が超加速してから慣性運動を続け、然る後に基準系に合流するという図式で、双子のパラドックスがどうなっているのかを理解することが出来ました。
(なお、ここに酷く高い山があります。二つの慣性系だけで特殊相対論を理解した気になると、双パラについて、お互いの時間が遅れあう、合流時には時間の遅れがない、一般相対性理論が必要である、などの誤った結論に陥ります)

私は、大いに満足して、ここでひと段落しました。

ところが、この頃になると、
もはや相対性理論ばかりか、物理学全般、それどころか自然科学全般、科学史、科学哲学、社会心理学、認知心理学、進化生物学、論理学、数学、世界史、考古学・・・収拾が付かないほど、知的好奇心の虜になっています。

その熱中ぶりは尋常ではなく、歩くときも、食べるときも、本を読む生活を送り、所持金も、全て本を買うために遣い尽くしていました。

もはや、歌舞伎町の生活はどうでも良くなっており、結果として、全ての交友関係を絶ちきった状態でしたが、孤独を憂う気持ちは皆無で、眠る時間さえ惜しいほど楽しい日々でした。

さらに、そのように充実した日々は、自分という人間の内面も、大きく変化させたようです。

とりわけ、当時の私にとっては、多くの書を通じて接する、科学者たちのエピソード、知的好奇心、審美観、ユーモア、教養、真実を希求する姿勢、そして、善き人間であることが当然であるかのような姿が、まばゆく感じられたのです。

それは、実際のところ、立派な科学者ならば備えていて然るべき教養と、普通のモラルでしかありませんが、異常な環境に身を置いていた私からすれば、そこに人間精神の理想的なあり方を垣間見た気がしたのです。

して、先人が成し遂げた体系的な知識のエッセンスを、簡単に知ることができる時代に生まれ、義務教育によって読み書き算盤を身に付け、いまからでもやり直せる時代と環境に生まれ育った幸運に想いを馳せるようになっていました。

もちろん、当時の私は、必ずしもそうした自分の変化を自覚していたわけではありません。そういった人間性の変化は、緩やかで自然発生的な影響の積み重ねだからです。

ただ、確実なことは『アインシュタインロマン』と出会ってから、完全に俗世と切り離された生活を送り、1年以上は過ぎようかという、ある日、ふと、自分の変化に気が付いたということです。

前を向いて人生をやり直し、自分のモラルにおいて恥じることのない生き方をしよう、正しく生きよう、そして真っ当な収入を得て、大学にいかなった分の知識や教養を取り戻し、知的好奇心の充足に時間を費やす生活が出来れば幸せではないか。

いつしか私は、それが自分のあるべき姿だと感じるようになっていました。

人並みを目指して

 当時、23歳という年齢にして、職歴も技能もない高卒男性という自分の立場が、人生をやり直すには、大きなハンデがるという現実と向き合わねばなりませんでした。

しかしながら、私は、歌舞伎町に帰ろうとはしませんでした。もう、そこは私の居場所ではなく、その世界に対する好奇心が、無くなっていたのです。だから、私はまず、自分の不利を直視しながらも、肉体労働と単純作業以外の仕事を探し始めました。職種は興味がもてそうならなんでも良いとさえ考えていました。

さて…ここで私は、過去の自分を美化したい欲求に駆られます。

なぜなら、若き日の自分を客観的に記述すると、反社会的な人間が改心し、臆することなく、社会の底から真っ当な人間に生まれ変わろうと誓い、困難な道のりに挑む立派な青年の姿が思い浮かぶからです。

しかしながら、それでは現実と違ってしまいます。

私にとって、生きる場所を変更し、真っ当な仕事をしようと決断したということは、人生の大いなる転換のはずですが、当時の私にとって、「決心」も「覚悟」も必要としませんでした。

それまで、特殊相対性理論を理解するために、好きで勉強し続けた日々は、私に二つの恩恵をもたらしていました。一つは、新しく難しいことを臆せずに学ぼうとする意欲と、それを継続するための精神状態。もう一つは、主体的に好きで学び続ければ、振り返ったとき、それが「努力」と呼ばれるに相応しい何かになるものだ、という努力観でした。

さらに、当時の私は、自分の無知と無学を直視すると同時に、世間一般の四大卒の人々は、科学者まではいかずとも、充分な基礎知識や教養を備えているのが普通であって、あらゆる意味で自分が足元にも及ばない知的土台があるのだろうと思い込んでいました。

もちろん、それは、後に壮大な誤解であるという現実に直面することになりますが、ともかく、そのように思いこんでいました。ところが、前向きな人間になっていた私は、劣等感を受け入れつつ、も「人の何倍も真面目にやって、人並に追いつければ良いじゃないか、まずそれからだ」ということを、とても楽観的に考えるようになっていたのです。

ともあれ、私は、おかしな誤解を持ったまま「人並」を目指して全力で仕事に取り組み続けたおかげで、どのような職場でも良い評価を得ることができました。すると、必然的に仕事も楽しくなり、さらには、得た収入では本を買いまくるという幸せな日々を続けることができました。

そして、そんな生活になじんだある日のこと、ふと、自分の居場所に注意を向けたとき、自分が、社会の一員として生活していたという状況に気がついたのです。

つまり、私は、意図せずして、結果的に社会復帰していたのです。

今思えば、そこにいたる道のりは、楽ではありませんでしたし、自分で振り返ってみると「良く頑張ったなアンタ」とは思いますが、少なくとも、そこに覚悟や決意、蛍雪の功めいた苦労の類は見いだせません。それは、少なくとも、底辺にいた人間が、確固たる意志によって更生した物語ではないのです。

実態は、無学で堕落した若者が、知的好奇心に導かれることで、他の全てを犠牲にしながら好きな道を歩み続けていたら、いつの間にか社会復帰していた、ということでしかないのです。

以降、私は、社会復帰と平行して疑似科学に興味を持ち、懐疑主義と出会い、この道に深入りしていくことになるのですが、それは別の機会にしましょう。

ともあれ、13年前に、特殊相対性理論に好奇心を刺激されることで始まった私の道のりは、懐疑主義や妻との出会いを経て、今日にいたるも途切れることなく延び続けています。

その道程は、あまり立派ではありませんが、私にとっては、懐疑論者としての矜持でもあり、大事な原点でもあるのでした。

おしまい

このエントリーをはてなブックマークに追加