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Wakashimu 34歳


 1976年東京生まれの高卒社会人。ワカシム(wakashimu)とは、昔、YAHOO掲示板でビリーバーさんたちと議論をおこなっていた頃から使用している、ハンドルネームです。

疑似科学や超常現象の懐疑的な研究を中心に、知的好奇心の追求が私の関心です。

無神論者であり、世俗的ヒューマニストあり、愛妻家であり、愛国者であり、健全な懐疑主義の実践を、意識的に努力し続ける大衆のなかの懐疑論者です。


 2011/12/23UP  社会復帰までの話   犯罪者が科学的好奇心に目覚め厚生していた件
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社会復帰までの話

 私は、今でこそ真っ当に生きていますが、かつては職業的犯罪者として生きる道を歩んでいました。しかしながら、幸いにも私は、ちょっとした知的好奇心がきっかけとなり、結果的に更生することができ、図らずして社会復帰を果たすことができました。

その経験は、社会復帰から13年を経た今をもって、私にとっての原点であり初心です。

事のはじまりは15年以上の昔にさかのぼります。

高校生だった頃の私は、大麻をはじめキノコからLSDまで、ドラッグに強い好奇心を抱いており、薬物がもたらす意識変容体験にすっかり魅了されていました。

高校卒業後は、まず反社会的集団の非構成員として、非合法なトルエンの売り子にはじまり、販売と会計を担当していました。半年もすると、暗算能力や、売上を盗まない真面目さに目をつけた別の組から、高給を条件に別の売り場へスカウトを受け、別の組織に転職しました。

それは、順調に転落という出世街道を歩んでいましたが、幸か不幸か些細なミスで逮捕され、練馬区の東京少年鑑別所に一ヶ月ほど拘留される羽目になります。

そうした、外界と閉ざされた1ヶ月の拘留期間は、そうした関係者との付き合いを断ち切る機会をもたらしましたが、出所後も厚生することはありませんでした。

成人した私は、相変わらず、もっとも病んでいた頃の新宿歌舞伎町に常駐する生活を続け、歌舞伎町の住人と称する「山田」なる不信人物の二代目相棒となり、より本格的に職業犯罪者への道を進んでいました。

この時期が、社会的にもっとも堕落していて、非暴力団経由で覚醒剤や大麻の仲介をしながら、さらには偽造クレジットカード作成の手配や換金、パチンコ屋の脱税用のサクラなど、いろいろなことを手がけていました。

どうして、そこまで転げるのかといえば、当時の私がいた環境は、倫理観が完全に麻痺している人々だけで構成される特異な社会だったことが関係します。そうした特異な社会で、朱に交わって朱くなると、かつての自分であれば、恐れや抵抗や罪悪感を抱いたはずの局面にあっても、何も感じなくなってくるのです。環境がもたらす価値観の醸成は恐ろしい影響があるのでしょう。

そんな私が更生したきっかけは、それまでの生活とは全く関係のない数本のビデオでした。

それは、久しぶりに自宅にいるとき―たしか22歳だったと思いますが―どういうわけか、姉がツタヤで、NHKスペシャルの『アインシュタインロマン』全6巻を借りてきていたのです。

2歳上の姉は、特別に教養があるわけではありませんが、密かにドキュメンタリーが大好きという特質を持っており、しばしばナショジオや『ニュートン』の特集号を買っているなど、知的好奇心が旺盛な人間ではありました。

そして「これ面白いよ、あんたも観る?」ということで、姉と一緒に視聴することにしたのです。

すると、これが非常に面白く、衝撃でもありました。

私がとりわけ夢中になったのは、アインシュタインが1905年に提出したという特殊相対性理論なる、人生で一度も耳にしたことのない物理学の理論と、その帰結でした。

なにせ、特殊相対性理論によると、時間は絶対なものではなく、ある人にとって1年しか経過していないのに、ある人にとっては2年が経過しているというような事態が起きるというのです!

本当に驚愕でした。

なぜなら、私は時間の絶対性を、もの凄い強さで信じ込んでいたからです。

私もまた、多くの人がそうであるように、子供の頃、宇宙の端で槍投げ問題、時間とは何か、そういったお題を漠然と考えていた経験があります。

そうした思考から何か結論が出るわけもないのですが、ただ一つ「時間について確かなことは、何も言えそうにないけど、宇宙のどこでも誰にとっても時間だけは絶対的なはず」ということだけは、確かな足場になるような絶対的な真理として確信していたのです。

しかしながら、それほど強固に、絶対的真理だと確信していた時間の絶対性が誤りであるということを、約100年も前に科学が発見していたことを知り、私は衝撃と同時に、猛烈な好奇心を抱いたのです。
(余談ですが、絶対的に真だと確信していたことが誤りであった、という経験は、現在も、絶対確実だと信じていることでも、マレに覆る可能性があるのだ、という戒めとして、心に刻んでいます)

時間の遅れに大興奮の私は、その日のうちに全巻を観ました。もの凄くわくわくしました。

私にとって、それは体験したことのない強烈な知的興奮であり、純然たる知的好奇心の充足という新しい歓喜を、比類なき力強さで教えてくれました。

なにしろ、中学生1年生の数学で停止していた私が、より正確に、より深く、より体系的に理解したい、理解しなくてはもったいない!とさえ思うようになっていたのです。

そうです。

この『アインシュタインロマン』―とくに特殊相対性理論による時間の遅れ―との出会いが、私にとって人生の分岐点となり、その後の生き方を変えることになる科学との出会いでした。

私は、まず、時間が遅れる理屈をきちんと理解するという、ささやかな目標を立てました。

結局、あれこれ悩みながら、理解したと確信できるまで数日かかりましたが、異なる慣性系でも光速だけは同じ速度で観測されるという原理が、なぜ時間の遅れを要求するのか、仕組みが理解できました。ささやかな目標でしたが、なんとか達成できたのです。

さらに、とち狂った私は、次の段階として、実際に時間が遅れる量を計算してみたいなどと思い、自力で方程式式を作る過程に踏み込んでいたのです。あれこれ考えているうちに、それもできそうな気がしたのです。中学生の数学の半分も習得していない程度のツールで。

・・・無謀でした。

いい歳をして、中学生用の数学の参考書を購入したのですが、難しくて、結局は小学生向けの算数の教科書を購入する羽目になり、改めて勉強し直すことにもなりました。

ともあれ、そのような日々を送り続け、やっとローレンツ変換を導けるようになり、時間のt軸と空間のy軸で、t軸に沿って運動する慣性系を基準とし、一方を、超加速してから慣性運動を続けてから静止系に合流するという図式で、双子のパラドックスがどうなっているのかを確認し、心の底から納得しました。
(なお、ここに酷く高い山があります。二つの慣性系だけで特殊相対論を理解した気になると、双パラについて、お互いの時間が遅れあう、合流時には時間の遅れがない、一般相対性理論が必要である、などの誤った結論に陥ります)

私は大いに満足して、ここでひと段落しました。

しかし、それまでの日々があまりにも充実していたので、私はすっかり夢中になってしまい、以降も、しばしば背伸びをしすぎて失敗しながらも、ポール・デイビスワインバーグ、ペンローズなどを読み漁り、興味の範囲を拡げていきました。

そのような日々は、思いのほか長く続いてしまい、私の生活は激変していたのです。

結果として、それまで所属していた社会と隔絶された環境をもたらし、全ての交友関係を絶ちきる状態にさえなりました。しかし、それにもかかわらず、孤独を憂う気持ちは皆無で、逆に、眠る時間さえ惜しくなるほど読み学び考える時間が楽しいという日々を過ごしていました。

その毎日は充実したもので、いつしか私は、先人が成し遂げた体系的な知識のエッセンスを、簡単に垣間見ることができる時代に生まれ、義務教育によって読み書き算盤を身に付け、いまからでもやり直せる時代と環境に生まれ育った幸運に想いをはせるようになりました。

それは、敬虔な気持ちと、何ものにでもなく、ただ感謝する感情でもありました。

気がつくと、私は、勝手に変わっていました。

今からでも遅くない、前を向いて人生をやり直し、正しく生きよう、そして真っ当な収入を得て、大学にいかなった分の知識や教養を取り戻し、知的好奇心の探究に、もっともっと時間を費やしたい、それから先のことは判らないが、とにかくそれができれば自分は幸せだ。

いつしか、そんなふうに想うようになっていたのです。

また、多くの書を通じて接する、科学者たちのエピソード、知的好奇心、審美観、ユーモア、教養、真実を希求する姿勢、そして、善き人間であることが当然であるかのような姿をみるにつけ、人は、かくも健全で美しい精神を持って生きることができるのかと、感銘を受けることが少なからずあり、影響を受けていました。

私は一部の科学者たちに、人間精神の理想的なあり方を垣間見た気がしたのです。

それにしても不思議な話です。

なぜ、私は、それほど―宗教的回心のレベルで―変化したのでしょうか。

恐らく、倫理と宗教が不可分な社会では、私の感じたことは、宗教的感情による回心という言葉で表現され、理解される種類の現象です。

そして、今、確実にいえることは、当時の私が、人としてのあるべき姿について考えるほど、大きな影響を受けるには、宗教者や政治家や軍人や哲学者や運動家や神秘体験ではなく、科学者たちの姿に垣間見る、副次的な要素としてのソレでなければならなかったということです。

世界には、無神論の世界観は、悪徳の許容と不可分と考える文化もあるようですが、私が生まれ育った社会は、無宗教のまま人々の高いモラルを可能としてきた日本民族固有の精神性が根付いた環境でした。

私のなかには、確かに、恥を知り、卑劣を忌み、敵に情けをかけ、公を私に優先する武士道的な規範意識や、謙譲の美徳、お互い様、おかげ様といった考え方を含む、日本的な価値観や美意識が、望む望まないに関わらず、精神的土壌にあったわけです。

だからこそ私は、美徳や悪徳などの倫理が、ローカルな観念に過ぎず、宇宙は、私どころか人類にも無関心であって、数学的な秩序を備えながら、ただ存在しているのだ、という世界観を受け入れることに抵抗がなく、むしろ必然的なことのように思えたのでしょう。

そして、私のなかに残存していた良識の源泉は、自然主義的な世界観や世俗的ヒューマニズムとも親和性が高いもので、ゆえに私の琴線に触れたのだということを、私は強く感じています。

だからこそ、いつしか私の倫理観は、信仰などの動機付けを必要とせず、ただ人として善くあろうとすることが、自分にとっての自然なことなのだと思うほどに変貌していたのだと思うのでした。

私は、それ以降も、好きで勉強を続けましたし、続けています。それは、好きでやっているとはいっても、必ずしも愉しいことばかりではありませんでした。

参考書を読みながら、たかが二次関数の勉強をするときに、本気で学習塾に通うか悩むほど、能率に難があると感じたときは辛いものです。

私はそれらの学習を破棄しても、誰も咎めない状況でした。しかしながら、私はそれでも基礎解析から集合論、数理論理学など、好きで勉強し続けました。総じて、それは楽しい努力でした。

そうした、好きでやっている努力は、意図せずして継続をもたらし…というよりも、好きなことを続けた結果として、振り返れば、それは努力の継続と呼ぶに値するものであった、という結果としてのことでした。そこにあった最大の原動力が、知的好奇心であったことは言うまでもありません。

そうした経験は、私に少しばかりの自信と、いろいろな恩恵をもたらしました。

たとえば、大抵の努力を苦と思わなくなる精神です。そういった精神や、前向きな姿勢が、どのような職場でも有意義な効果を発揮しましたし、真面目に働くようになっていた私は、気がつけば、社会に復帰していたのです。

もちろん、そればかりではなく、他にも、計り知れない恩恵はあるでしょう。そして、一連の体験は、懐疑論者としての私にとって、今も大事な原点でもあるのでした。

おしまい

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