懐疑論者の祈り


序論:「管理された隠蔽」と「くだらない隠蔽」そして私の立場と論点 6/22改定

1.はじめに

 3.11東日本大震災における、福島第一原発の放射性物質漏出事故から三ヶ月。事態は悪化していくばかりで、政府官邸による事故の過小評価が覆り続ける日々であった。

かような経過に加え、これまでの東電の歴史と、現政権の性格を考慮すれば、政府東電は情報を隠蔽している、危険を隠している、などなどの憶測が噴出するのも無理からぬことであり、むしろ必然でもある。

しかしながら、それら政府の情報開示姿勢に対する非難を精査していくと、客観的な事実の追及という前提を見失い、結論ありきで情報を選り好みしていたり、事実よりも感情が先立つ論が散見される。結果として、主張の強さと根拠が見合っておらず残念な議論を展開していることが多いのである。

さらには、少なくとも現代の日本において、陰謀論者が期待するような、恐ろしく巨大で重要な秘密が、精力的に隠蔽されているという可能性は限りなく低いし、いくら民主党政権とはいえ、確信犯的に多くの国民を見殺しにするほど悪意に基づいて行動しているわけではない。このことは強調しておかねばならない。

また、今回の原子力災害は、そもそも前例がなく、時間も限られており、多少の判断ミスはしょうがないことでもあるし、政権や東電批判には、正直なところ国民側の意識に問題がある場合も少なくない。

そのような背景もあり、日常からニセ科学などを批判してきた人々の多くは、今回の大震災に乗じて登場したニセ科学や狂った陰謀論の虚偽を暴いてきた。とりわけ危機感を無闇に煽りたてる主張やデマの類は、いろいろな意味で有害であり、その誤りを暴くことは社会的意義もあるし、正当に評価されるべきである。

 だが、評価すべきはそこまで。
 
とても困ったことに、そういった陣営の人々は、陰謀論的な非合理やデマは適切に批判できるのに、反対に、政府官邸側の誠実さについては、非合理なほど信奉者と化してしまう場合があるのだ。

もちろん、政府に対する最低限の信頼は当然だが、私が問題だと考えるのは、しばしば、それが非合理の一線、深刻なダブルスタンダードの一線を踏み越えていえるケースが実際に存在しているからである。

たとえば3月15日頃を思い出して欲しい。当時は、2度目の水素爆発が起き、いよいよ茨城から東京まで、福島第一原発に由来する放射性物質が検出された日である。

当時、ロイターやニューヨークタイムズといった海外の老舗メディアは、日本政府の情報開示不足と、事故の過小評価を批判的に報道していた。中身としては、海外の専門機関や公的機関の専門家が、福島第一原発の被害規模は、INESレベル6〜7に達しているという見解を発表しており、それを受けての報道であった。

だが、そのような状況にあって、政府官邸は3月18日に、INESの暫定レベルは「5」と発表し、いよいよ海外からの日本政府への不信が決定的になってしまった。3月15日頃というのはそういう時期であった。

このような、海外の報道と日本政府の公式発表の乖離は、日本の政府官邸側が被害規模を過小評価しており、海外のメディアは、むしろ普通に専門機関の発表を報道していたというのが公平な見方であろう。

ところが、この状況についてとんでもない評価を主張する論者がいるのである。

たとえば、以下は陰謀論などに批判的な側で、普通以上に情報の精度や誤信に気をつかっていなくては話にならないはずの立場にありながら、4月末に次のような発言をしていたのである。

「海外メディアは全然当事者じゃない。間違った報道をしても、あんまり痛手がない。所詮は外国の話。お気楽。今回、日本では「海外だから冷静だろう」という思込みがあったのだろうが、無批判に海外メディアの指摘を紹介し、いっしょに「情報が足りない」といういらだちも輸入してしまうケースが多かった。政府の発表はパニック回避を第一にしているという問題があって批判されても当然だが、情報不足の海外メディアの方が正しいだろうと政府に迫っても混迷が深まるだけ。

 実際早い時期のニューヨークタイムズの記事や、妙なニュースもたくさんあったロイターなど、本当に罪作り。もうロイターの信頼性は地に落ちている。」(要訳)

たしかに海外メディアの報道には、ヒステリーといっても良い報道もあった。それは確かであるが、少なくとも、被害規模の乖離と政府官邸の情報開示不足についての批判的な報道は、海外メディアの報道に非はないはずだが、この部分についても海外のメディアが悪いというのである。呆れてしまう話ではないか。※あまりにも狂っているので、本人に、想定している報道などを具体的に確認した。

ここで、ちょっと考えて欲しい。

現政権は野党時代に情報の透明化を強く訴えてきた。しかし、尖閣事件が象徴的だと思うが、口蹄疫での報道規制や、官房機密費の使途を開示するという公約の破棄、朝鮮学校無償化を決定した有識者会議でも、一切の情報が非公開であるなど、陰湿さと不誠実さ、情報を封鎖したがる性格は民主党の特徴なのである。

そして、東電もまた隠蔽と不誠実の根深い歴史を有する集団であり、今回のような重要な事件においても、被害規模を過小評価する方向で、開示すべき情報を提供していない可能性が疑われても仕方がない。

したがって、これほど政府官邸の情報開示姿勢や対応の問題について、過剰なほど好意的解釈を採用する姿勢は、もはや陰謀論者と同様に非合理である、と私は主張する。

そこで、まず私の立場を明示しておきたいのだが、その前に、「隠蔽」についての補足をする。

2.管理された隠蔽」と「くだらない隠蔽」

 本件における私の立場は、政府官邸側の情報開示姿勢は、極めて不誠実であるということになるのだが、それが正しいとした場合でも、「隠蔽」というにはやや躊躇すべき理由もある。

これは微妙な話なのだが、とりあえず二種類の「隠蔽」という概念を説明しておきたい。
 
 とても下世話な例になるが、かつてアメリカではCIAがUFOに関する情報を隠蔽しているとして騒がれていたことがある。とくに陰謀論者が指摘してきたことは、政府はエイリアンとの密約で、人体実験の許可を出しているだの、CIAはUFOの目撃者の口封じをしているだの、それはもう言いたい放題であった。

それに対しCIA側は、50年代にソ連がUFOをネタに騒動を誘発し、軍事行動の布石にするという可能性を懸念し、科学者を中心とするロバートスン査問委員会を設置するなど、対処を検討していたことについては認めていた。そして、それ以降は「我々CIAはUFOなんぞに興味はない。何か情報を有しているということもない」という無関心の姿勢で一貫してきたし、それは納得できることであった。

このような事態にあって、ニセ科学を批判してきた懐疑論者たちは、政府やCIAがUFO情報を隠蔽しているといった種類の巨大陰謀論が、いかにヨタ話であるかを暴き批判してきた。それは正しい批判であった。

しかし、その一方で、CIAがUFO情報を隠蔽している可能性については無頓着で、基本的に隠蔽のようなことはないという文脈で事態に接していたのである。

ともあれ、70年代のアメリカ合衆国では、このような議論があったのだ。

さて、1976年、同国では、情報公開法が成立した。すると、早速とばかりに民間団体のGSWが「CIAは隠しているUFO関係の文書を全て提出しろ」という、普通に考えるとちょっと無茶な訴訟を起こした。そもそも、訴訟で勝ったとしても、CIAが本当にUFO関係の文書を保有していなければ、提出する書類も存在しないはずであり、無意味なように思えた。

そのように、無意味にしか思えない民事訴訟第78-859号は、複数の国会議員の支援もあり、民間のUFO調査団体に過ぎないGSWが勝ってしまった。その結果、アメリカで、もっとも強力な調査権と実力及び実績を有し、独立性も信頼できる米会計検査院(GAO)が、CIAの調査に乗り出すことになった。

その結果、驚くべきことに、出るわ出るわ、実にたくさんのUFO関連文書が出てきてしまったのである。

つまり、CIAはUFOに関する情報を隠蔽していたのである。まさに大嘘をついていたのだ。
 
ただし、出てきたUFO関連の資料は、陰謀論者や支援した議員には気の毒だったが、エイリアンとの密約や、未知のテクノロジーに関する情報などは一切なく、実にしょうもない情報ばかりだったのだ。

具体的には、世界中の新聞に掲載されたUFO報告の記事を集めただけの書類。これは特に1950年代のものが多く、ノルウェー、西ドイツ、チェニジア、モロッコ、北アフリカ、デンマーク、フィンランド、コンゴ、イタリア、フランスなど、まさに世界中の、それも複数の言語による新聞のUFO報道ばかりを集めたものであった。

しかし、各事例に対しては、何の評価もつけておらず、諜報機関の知りたがりがどれほどかを示唆する面白い資料でしかなかった。他にも、いくばくかのUFO報告に対する科学者の見解もあれば、空軍からの報告、大学院生が書いたUFO関連の論文を取り寄せる指令書、民間人からのUFOに関する問い合わせに対して滅茶苦茶な返答をしたことを証明するメモなど、呆れるほど大量に情報があったのだ。

そう、確かにCIAは隠蔽していたのだ。

ただし、それは面倒臭いという程度の理由で、国民や国会議員にウソを吐いてきた不誠実さを隠蔽していたのであり、巨大な秘密ではなかったのである。参照:CIA UFO公式資料集成〈1〉

振り返れば、政府などの隠蔽というのは、ウォーターゲート事件やCIAのUFO情報のように、国民に直結する危険な重要機密ではなく、責任を回避するためであったり、チンケな面子のためであったり、とてもくだらない人的な理由の場合が圧倒的に多いのである。

強いて言えば、彼等が隠蔽するのは、無能や失態や不誠実か、せいぜひ違法行為の証拠なのである。むろん、MKウルトラのような、信じがたい事実を隠蔽していたケースもあるが、それは本当に希である。

3.二種類の隠蔽 「管理された隠蔽」と「くだらぬ隠蔽」

 情報の隠蔽というと、往々にして、重要な秘密や危険など、単語のイメージに見合う秘密の存在を想定しがちだが、私は、その手の立派な隠蔽を「管理された隠蔽」と定義する。

具体的には、ユダヤが世界を牛耳っているだの、9.11自爆テロが自作自演であるだの、妄想的な陰謀論の文脈で登場する「隠蔽」が、それである。なかにはCIAによるMKウルトラや、中国共産党の法輪功弾圧と生体臓器移植など、信じがたい問題が隠蔽されている場合もあるため、ただ陰謀論臭いという理由だけで、嘲笑するのは良くない。少なくとも主張者が、曲がりなりにも挙証責任もどきを果たしている場合は特に。

一方で、現実にありがちな、無能や失態や不誠実、違法行為や責任の追及が怖いといった程度の理由で、不誠実な情報開示によってなされる隠蔽を「くだらない隠蔽」として区別することができよう。その具体例は、先に上げたCIAのUFO資料やウォーターゲート事件、尖閣事件が相当するだろう。

 以上が、二種類の隠蔽概念である。もっとも、両者は常に線引きできるとは限らないため、大雑把な概念という程度に理解していただきたい。

いずれにせよ、「隠蔽」というときに、陰謀論としての「管理された隠蔽」だけを想定してしまい、頭から否定するのは、客観的な評価を阻害するものであり、「くだらない隠蔽」がある可能性は疑われるべきである。

同時に、隠蔽を疑う側もまた、自分が暴こうとしている秘密が「くだらない隠蔽」である可能性の方が、圧倒的に高いという自覚をしておく必要もあることは、言うまでもない。


3.私の立場と論点
 
 私は現政権与党を、創造科学の連中と同じくらい卑しいと軽蔑しており、早く解散総選挙をするべきだという政治的信条を抱いている。つまり現政権が継続する方が、何よりも国益を損なうと思っているのだ。

そのため、私は官邸の失態を肯定する方向へ、バイアスがかかる危険性が懸念される。

だが、私は懐疑論者でありクリティカルシンカーである。だからこそ、私はそのリスクを強く自覚し、自分が信じたい側の主張も懐疑的に検証するプロセスを重視しながら、クリティカルシンキングを意識的におこなって、福島第一原発の問題を調べてきたのである。そのことは強調してもしたりない。

とくに、ニセ科学に批判的な陣営の人や科学畑の人は、本来、通常人以上に、その手の心がけを持つべきだと思うが、現政権の失態や体質をあまりにも知らないのに、現政権を無邪気に信奉する人々が少なからず存在している。なかには民主党を支持し、枝野のがんばりを評価する情報弱者すら混在しているのであるから頭が痛い。そしてその手の人は、大抵の場合、自身が与している側の主張を懐疑的、批判的に扱う姿勢が欠如しており、でたらめな主張を批判するときだけしか、調査能力を発揮しないのである。

 私はそういったアンフェアが死ぬほど嫌いであり、そういった手合いとは志が異なるということを強調しておきたいのである。

ともあれ、そのような姿勢で調査してきた結果、私は、デマや誤解などを暴いたケースも少なくないのだが、それでも、現政権の情報開示姿勢には、深刻な問題が二つあることを発見したので、ここで発表したいと思う。

私が主張することは、官邸及び政府関係機関、東電上層部(以下官邸側)の情報開示姿勢は、良く言っても「不誠実」であり、「隠蔽のようなことはない」という常識人ぶった人々の主張は肯定できないということだ。

そして、最大の論点は、官邸側には、少なくとも最初から被害を小さくしたい方向へのバイアスがあり、3月15日には完全に、福島第一原発の被害規模について極端に小さく見せようとする方針を採用し、それは4月06頃まで続いていた、ということである。

二つ目は、基本的な情報開示姿勢が、野党時代に散々、情報公開の透明性を主張してきくせに、もはや自公政権時代どころか、中国共産党や北朝鮮のレベルに陥っているという問題である。

その弊害はいくつかあるが、真相究明や現政権の危機管理能力のなさがどれほど深刻か(あるいはそうではないのか)を検証することが困難になるばかりか、国民の政治不信をますます高めたことにもあろう。

そして国益を最も損なったことは、長い年月をかけて築いた日本という国の信頼性やブランドを、かつてないほど貶めてしまったことにもある。普天間問題、尖閣事件、福島第一原発事故の情報開示姿勢が引き起こした日本不信は、普段から日本に対する海外の信頼を意識したことがない人にはピンとこないと想うが、かなり深刻なのである。

今回、外国人記者向けの保安院会見でついに参加者がいなくなるほど信頼を失っている姿、誰もいない記者席に向かって発表を続ける姿は、なんと悲しく情けないことだろうか。

ともかく、深刻な過小評価傾向の問題と弁明できない不誠実な情報開示姿勢という2点を解説する。
 

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 最終更新2011/6/22 Wakashimu お問い合わせ先


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