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最近の若いものは・・・
 What is happening to our young people?

 本稿は、ASIOSのblogに発表した記事の増補改定版です。


 人間の持つ認知的偏向のなかでもとりわけ伝統的なもの、ずばり「最近の若者はけしからん」に代表される、人間の保守性が非合理な新しい文化の批判をしてしまう性質についての話をします。
  本当に「最近の若いものは〜」や、マンガ有害論からゲーム脳まで、批判のための無根拠な有害設定は、「昔はよかった」と対になる、典型的な主張なのであります。

 たとえば平安中期の女流歌人、清少納言の有名すぎる『枕草子』の一節
 
  「〜なに事を言ひても、そのことさせんとす、いはんとす、なにせんとす、といふ""文字を失ひて、ただ、いはむずる、里へいでんずる、など言へば、やがていとわろし」

 現代語訳※若島意訳あり注意

 「(最近の若い者は、あまりに言葉が乱れており嘆かわしい)何から何までむずる語を使うが、とてもみっともないことだ」

 
   
   

 つもり、「最近の連中ときたら「言はんとす」という正しい言い回しをせず、「言はむずる」といいやがる」という意味での嘆きです。

 言葉の乱れという問題は、もちろん憂慮すべき場合もあるかもしれませんが、「正しい日本語」を強調する文脈からの批判は、「ら抜き言葉はヤメなさい!」のように「絶対的に正当な批判をしている立場」かのように思い込んだ者からなされる場合があります。
 私の場合は「ら抜き言葉がみっともない場合もある」ということは同意できますが、批判者が議論可能な価値観の問題であることを自覚していない場合や、言葉は変化するし、してきたという現実を認識していない場合、「正しい日本語を護る」という価値観の押し付けが醜悪に感じます。 

 ですから「嘆かわしい言葉の乱れ」ではなく「言葉が変化する過渡期」と解釈すべきかもしれないという認識くらいは、心のマナーとして持っておきたいものですね。
 むろん、正しいビジネーストークが求めらる状況下において、「お客様が申す」などと言ってしまったり、注意されたときに「誤用ではなく変化と解釈しましょうね」などと切り返しても、世間では通用しないということは理解しておく必要がありますが。

 さて、紀元前4世紀、清少納言より遡ること1300年、かの大哲学者プラトン先生もまた、似たように嘆いています。
   「What is happening to our young people? They disrespect their elders, they disobey their parents. They ignore the law. They riot in the streets inflamed with wild notions. Their morals are decaying. What is to become of them?」  『Politeia』plato

 日本語訳※若島意訳あり注意

 「最近の若い者はなんなんだ?餓鬼のくせに年長者を敬わず、両親に反抗する。法律は守らない。ストリートギャング気取りで大暴れときたもんだ。連中の道徳心は腐れきっている。このままだと、いったいどうなってしまう」 『ポリティア』プラトン

 
   
   

 偉大なる、薔薇のようなプラトニックラバーにして、レスラーで、大哲学者のプラトン様。素敵です。

 また、さらにいえば、ヒッタイトの遺物、エジプトの壁画から現代の居酒屋まで、いつでもどこでも散見されるし、恐らくは歴史上、さまざまな地域、時代、文化で、自然発生する愚痴なのであろうことは想像に難しくありませんね。

 私は確信しています。

 かつてアフリカの大地で、枝を片手に狩りのプランを説明している年長者が「最近の若い者はなっとらん、足跡の区別もろくにできん」と嘆いていたであろうことを!
 そう、いつの世も、倫理や文化が変わろうとも、集団生活が世代を重ねるほどに安定し、そこそこの時間が経過したならば、宗教や神話が生まれるのと同じくらい頻繁に、いつか年長者が「最近の若いものは云々」と嘆くのでしょう。

 さて、「最近の若い者は〜」というのは、実際のところ「昔はよかった」の系統や、「TVばかりみていると〜」「マンガの悪影響が〜」「ゲーム感覚で〜」「インターネットが世界の全てだと〜」といった論調のうち、「もっともらしく感じる人には感じるけれども実は無意味であるか誤り」な主張と同種といえそうです。(もちろん「少年犯罪の増加(本当は増加していない)」や「言葉の乱れ」などに対して「ゲームの悪影響だ」と言ってみたり、ただ「嘆かわしい」という価値判断をするだけといった具合に、パターンや力点の違いはありますが)

 そういうわけですが、続きましてマンガ有害論やゲーム脳に連なる系譜の過去事例も紹介しましょう。

 これ、私は「反社会学講座」で知ったんですが、19世紀フランスの話で、凄いのがあります。
 当時のフランスは、大衆全体の識字率があがりつつ、小説類が普及していく第一段階でありました。

 そんな状況でのことです・・・
 
 「連載小説が女の脳味噌にとって、男の脳味噌に対するアルコールと同じ、しかもおそらくもっと深刻な破壊を起こすのだと確信しない者はいない」
 『レジャーの誕生』著:Alain Corbin 訳:渡辺 響子

 エクセレント!これぞ「恋愛小説脳の恐怖」としかいいようがないですね。「最近の女中は仕事をサボって、空想にふけっている。これは恋愛小説が〜」というノリです。面白いですね。
 
 でも、上には上がいて、まだ凄いのがあります。

 これがとっておき。これはたまたまwebで拾ったのですが・・・

 明治時代には「ゲーム脳の恐怖」ならぬ「野球脳の恐怖」が存在した!

 なんか凄いでしょう?

 ちょっとみてみましょう。えー、このサイトによると『戦後野球マンガ史:手塚治虫のいない風景』からの引用とあります。私は未読なので、孫引きですがご容赦ください。
 
 「明治四三、四年頃には、「東京朝日新聞」などを中心に野球撲滅論が起こっている。「教育と野球」(野村浩一、私家版)から引くと、「野球はアメリカから来た賎戯で士君の弄ぶべきものではない。我が国には胆を練るには剣道があり柔道があり、また国技として相撲がある。どうして外来の遊戯を学ぶ必要があろうか」というのが大勢だった。五千円札に肖像が描かれている当時の一高校長新渡戸稲造は、「野球という遊戯は悪く云えば巾着切(すり)の遊戯、相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう、塁を盗もうなど、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊戯である」と語っている。

 中略

 野球選手が学科の出来ぬのは、野球に熱中の余り勉強を怠るのかと思ったら、そうでなく、手が強い球を受ける為その震動が脳に伝わって、柔らかい学生の脳を刺激し、脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」

 
   
   

 ・・・すみません、面白すぎて涙でました。

 「手が強い球を受ける為
 その震動が脳に伝わって、
 柔らかい学生の脳を刺激し、
 脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」


 凄すぎる。。。。。。。。。。。言葉ありません。

 と、まあこういう小ネタ紹介でした。ただ、「むずる語がいとわろし」も「恋愛小説脳」も「野球脳」も「ゲーム脳」も、いま、このように遠くから客観的に評価すれば、笑える話ですけど、もしかしたら自分たちも、同じことをしてしまう危険は常にあるということを自覚する必要はあるかもしれません。
 野球脳までいくと遥か天空まで飛びすぎですが、注意深く身の周りを観察すれば、たぶん学校のクラブ活動から日常の職場まで、普通に存在しているはずです。
 


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