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脳梗塞体験記

無神論者の矜持と懐疑論者の祈り


  はじめに:何があったのか

 私ことワカシムは、35歳の誕生日を目前にした2011年1月20日8時19分、通勤途中の東京駅にて脳梗塞を発症し、緊急入院しました。

平時から健康的とは表現しがたい生活習慣ながらも、極めて健康な身体で生きてきた私にとって、突然の脳梗塞は予想だにせぬ大事件でもありました。

何しろ、倒れた当日は左半身が完全に麻痺してしまい「反側空間無視」という異常な症状が出るほど重篤だったのです。この症状は、かつてラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』で読んでから、私がもっとも好奇心を刺激されてきた症例の一つで、よもや自分がそれを体験するとは…。

しかしながら、医学の進歩と破格の幸運によって、まったく後遺症のない健康な身体を取り戻すことができ、二週間の入院生活を堪能し、無事に退院することができました。

そんなことがあったのですが…私の場合、脳梗塞の発症から、救急車に乗り、入院する一連の過程において、意識が明瞭だったこともあり、周囲の状況を客観的に観察し続けていました。

そのため、2011年1月20日、脳梗塞発症直前から退院までの出来事を、時系列で再構築できるため、記憶が鮮明なうちに、ここに記録しておきたいと思います。

  本編:脳梗塞体験記

2011年1月20日…その日迎えた朝は、普段と何も変わらない平穏な一日の始まりでした。

 07:15 起床
 07:25 朝食(厚切り食パン2枚に蜂蜜、ホットミルク)
 07:55 玄関を出る
 08:06 錦糸町駅到着
 08:09 錦糸町駅にて総武快速線東京行きに乗車

「錦糸町」の次の駅は「馬喰町」という駅で、そこまでは異常ありませんでした。

 08:15 最初の異常を認識

座席は空いていないながら、さほど混んでいなかった車内でのこと。手すりに掴まろうとして、空いていた自分の右手を動かしたところ、うっかり他人の手を触ってしまいました。

…いや、そうではなかったのです。

ふと目を落とすと、なんと、他人の手ではなく、自分の左手に自分の右手があたっていたのです。

このときの変な感覚は印象的で、記憶を振り返ると、これが最初に自覚した身体の異常でした。

このとき、変な感覚でしたが、私が思ったことは、自分の腕を他人の手だとか、兄の手だとか主張する脳疾患の話でした。そして「きっとこんな感じなのかな〜」などとのんきに考えていました。

その数分後、それが冗談では済まない事態の徴候とも気がつかずに…。

 08:16 錦糸町から2駅目の新日本橋駅に到着したころ、症状が進行。

車内で、左の膝がガクっと折れてよろけました。

そのときは転ばずに持ち直していたものの、前に座っていた人が「大丈夫ですか?」と声をかけてきたので、体感以上に、不自然で奇妙なよろけっぷりだった可能性が高そうです。

ともあれ、このときは「大丈夫です」と普通に発音でき、主観的には何ごともなかった風。

 08:19 身体のよくわからない異変が本格化。

立っているのが困難になり、車内でしゃがみそうになるのと同時に、東京駅に到着。

 08:20 東京駅に到着し、全員が降車

自分が、本来乗る電車ではなく、うっかり東京駅止まりに乗車していたことに気がつき、出ようとするや、受身をとることなく、重力に身をあずける格好で前にパタンと倒れてしまいました。

偶然にも、すぐ横を駅員が通りかかるところだったので、すぐに発見してくれました。

そうした状況でしたが、この段階では、まだ自分の状況の深刻さを把握しておらず、向かいに停車している車両に乗るつもりでいたほどです。

そして、駅員さんに「新橋はどれに乗れば行けます?向かいの電車ですよね?」と、確認しようとするや、深刻な問題が発生したのです。

そう、口がおかしいのです。

「ひんばひ…、ひんばひは、ろれにのえばひけま…」と、まともな発音ができない!

 08:20 ろれつが回らないことを初めて認識

ここで、駅員が肩をかしてくれたので立ち上がろうとするも、身体が動かず、改めて転倒する始末で、駅員が「急患発生!急患発生!至急車椅子用意してください」の構内アナウンス。

 08:22 すぐに車椅子が到着し駅員に担がれて車椅子に乗り、構内を移動。

東京駅の医務室まで運ばれる間に、いろいろ質問を受けましたが、とにかく返事をするにも、上手くしゃべることができません。

「あはわふつうで、いらってけんこうなのですふぁ、ひゅうにこうだってひまい(朝は普通で、いたって健康なのですが、急にこうなってしまい)」

という具合で、客観的には重い障害者のようでした。何が起きているの把握できませんでした。

 08:25 東京駅医務室に車椅子で到着。

ろれつが回らないことや、症状から、医務室のおばちゃんに、「障害者手帳がないか」「何かの発作持ちじゃないのか?」という、とんちんかんな確認を執拗に繰り返されました。

ちなみに、この期に及んでも会社に遅刻することを懸念していた私は、時計をずっと気にしていたため、意図せずして、分単位での正確な記録を再現することができているわけです。

そして、医務室以降も時間と出来事を観察し続けていました。

そういうわけで、東京駅の医務室に入った時点で、今の自分はろれつが回らないという現実を受け入れ、できるだけ普通に発音できるような工夫を探しながら自分のことを説明しました。

 1.健常者であること
 2.社会人であり出勤途中であること
 3.発作持ちではないこと
 4.普段は健康で、急にこうなったこと
 5.発声や発音に異常が出たことは一度もないこと
 
以上を慎重に伝達。

そして、自分でベッドに行けるかどうか問われ、移動しようとしましたが、やはり立てないため、医務室のおばちゃんと駅員に抱えられてベッドに移動し、横になりました。

そこで、おばちゃん氏は、コート、スーツ、ネクタイに目をとめるや、態度に変化の兆し。

脱走した障害者や外出禁止の病人がムリして出歩いてしまい発作をおこしたのでは?といった疑惑が解けた様子でした。

身なりがもっとヘボければ、疑惑が解かれるまで、もう少し時間がかかったでしょう。

ともあれ、このタイミングで、「だってあなた、左半身が完全に麻痺してるし…そういう発作の人がたまにいるのよねぇ」と指摘されたので、びっくりです。

左半身が完全にマヒ???…左半身が完全に麻痺????えーっ!

そこで、確認のため左手を動かそうとしたら・・・動かない!

左手も左足も動かせない!ここで驚きと共に、右手足はまったく正常に動くことを確認。
 
 08:30 東京駅医務室のベッド上で、ついに自分の症状を認識しました。半身麻痺…と。

ここで、ようやく出勤を諦めたのですが、このとき、狼狽するかと思いきや、なぜか妙に冷静で、意識もしっかりしていたことが印象に残っています。

そのため「うちでは手に負えないから、救急車を呼びますね」という提案を受けるや「おねがひしまう(お願いします)」と普通に賛意を示し、続けて、自宅と職場への連絡を依頼しました。

そして、私は落ち着いて救急車を待つことに。

 8:33 ひと落ち着きし、改めて自分の身体機能を確認しました。

また、救急車を待つ間に、名前・年齢・職種・住所・電話・家族・同居人・健康状態・朝の状況など、いくつかの質問にゆっくりと回答。

ここで、若干の改善があり、左足を軽く立てたり足首を振ったり、持ち上げることができるようになり、左手も、かろうじて動かせることに気がつきました。歩けそうな感じすらしていました。

しかしながら、妙に冷静だった私は、これは症状の回帰性に過ぎない、ということを自覚し、楽観視することはしませんでした。いや、冷静というより、なんというか他人事みたいでした。

そう、身体の極端な異常に対し、意識は正常で、不自然なほど冷静でした。

そんな、自分の冷静さがあまりにも異常過ぎるので、あれこれ推測。

左半身の制御は脳の右半球か…などと考えつつ、そういえば分割脳実験で、矛盾や違和感の検知に優位なのが右半球だったなぁ、そのせいで自分は冷静なのかな?いや、部位による?どこの問題だっけ?などと、のんきに脳内で分析してしまうほどです。

原因不明なのに、とにかく、事態に見合わないほど自分が冷静だったことが印象的でした。

なにしろ、その冷静さが異常だということを、客観的に評価してしまうほど冷静で、今振り返れば、おそらく脳に問題が生じていた症状として、異様なほど冷静だったのだと思います。
 
 8:42 素晴らしい早さで救急車が到着し、駅の医務室に到着の連絡が入りました。

超早えええ!と驚いたことが記憶に鮮明です。

また、このときの救急隊員の方が非常に頼もしい方で、今思えば、こちらに向かう前、駅の医務室からのヒアリングで、脳梗塞にあたりをつけ、一貫して最速最短の行動をしていたようです。

お名前を失念しましたが、改めてお礼を伝えたいと思っています。

隊員の方は、早足で医務室にくるや、一言三言のみで職員をスルーし、私の横たわるベッドまでやってくると「朝の状態・いつ異常を認識したか」を質問し、続けざまに簡易なテストを素早くこなし、酸素マスクをかぶせたかと思うと、すぐ担架に乗せ、あっという間に救急車へ。

すぐ出発。

 8:45 救急車のなかでヒアリングと、改めて症例切り分けのテストをしました。

両手を5秒挙げる。片足を5秒挙げる。目の前にピンと貼った紐の真ん中を指でさす。目を閉じて指を強く閉じた状態で両手を5秒挙げる。目を閉じて自分の鼻を触る。右足と左足と両足で3回、ピンで突付き、感覚の確認。

このとき、目を閉じて鼻をさわろうとすると、凄い空振りをしたのが衝撃的でした。

また、目を閉じて指を閉じたまま両手を同じ高さに保つよう試みるテストも、目を開けたら、いつのまにか左手が内向きにひどくズレて下降し、あっけにとられるほどでした。

そして、ここでも意識は普通で、隊員の行動を冷静に観察していたことを覚えています。

0ただ、観察している途中から、症状が悪化したようで、意識がやや不明瞭になり、この数分は、何を見て、何を考えていたか曖昧です。

次に時間を確認したタイミングから推定すると、どうも10分ほどは意識が曇っていたようです。なにせ、次に時間を目撃した記憶は、病院に到着する直前にまで飛んでいるからです。

 8:55 千代田区逓信病院に到着するや、意識もクリアになり冷静ぶりが復活しました。

すぐに病院の担架に移り、隊員氏にかろうじて「あひがろうごらいまひた」と言うが早いか、数人の看護婦と医者2名に囲まれ、担架で院内を滑走することに。

みんな凄く急ぎながら、私への点滴やヒアリング、簡易テストなどをタイミングよく進めています。

 8:58 院内を移動中に「脳梗塞で搬送された34歳の男性ですが〜」という声が聞こえ、自分が脳梗塞だということに気がつき、改めて事態を認識しました。

同時に、取り囲む看護婦が(マスクをしているとはいえ)4人共、そろいもそろって若くて妙に可愛い子ばかりという異常にも気がつきました。

このときも、私は相変わらず平静で、「ウホッ、天国に来ちまったか?いや、いやアンタは無神論者だろ」などと、一人ボケ一人突っ込みを脳内で展開していたことを覚えています。

 9:00 担当のやや美人な女医さんから提案を受ける。

これから検査し、血液をサラサラにする薬を使うべきだと思うのだけれど、使用しても良い?

といった提案をしてきました。

ここでも私は危機感が皆無な冷静ぶりで、真っ先に「血液サラサラ」という言葉はニセ科学っぽいので使わない方がいいのでは?などと、またもや脳内で一人突っ込みをする始末でした。

このとき院内の時計は9時ピッタリです。

続けて、女医の説明は「その薬剤を使うためには、症状発生後の3時間以内に限定されているが、使った場合は、38%の人が、三ヶ月以内に介護なしでの日常生活に復帰している」ということと、しかしながら、6%ほどの確率で脳内出血が起きてしまい、深刻な事態に陥るリスクもある、とのことで、使うには、ご家族や本人の許可が必要なのだとか。

また、女医によると、嫁には、ついさっき使用許可の同意を得たとのことで、あとは本人の同意があれば、必要な検査が終わり次第、すぐに投薬開始できるとのことでした。

ここで、私はクリティカルシンカーであらねばならないという想いで、いくつか確認。

まず、それを使わない場合は「38%」がどれくらい下がるか、ということを質問しました。

26%になるという返答を確認。

私は、何よりも、後遺症なしの日常復帰こそが唯一目指すべき道である、という価値観を強く意識した上で検討開始。

脳内出血にいたる6%のリスクは、母集団が大きいとき、かなり問題になるけれど、厚生労働省がこれだけ限定的な条件で使用を許可していることから、基本的に劇的な効果が期待されていて、また、この厳しい投薬の条件は、印象以上に安全性の高い基準なのだろうと推測しました。

そして、先生としては、極力判断を誘導する言葉を言わないながら、本音は、使うべきだと思っていることを察することができました。

ともあれ、そういった推測レベルの印象論が妥当かどうかは、結論の重要な要素にはならないことに留意しつつ、薬を使わないと後遺症の確率が74%、使えば62%に下がるが、代償として死亡級の超残念賞のリスクが6%ほど伴う、という選択になるとして、問題を認識。

私の結論は、少なくとも超残念賞の回避率は94%もあり、もし、自分がこの確率で外れを引くならば、そのときは、私はその程度の存在だと考えよう、という覚悟を決めました。

同時に、後悔先に立たずの原則に想いを馳せながら、いや、後で悲惨なことになっても、この選択は後悔してはいけない、今の時点で自分がすべき最善の選択をしたという、この確信だけは、決して忘れないようにすべき…。

私は、そのような誓いを立て、神への祈りではなく、無神論者の矜持を以って投薬に同意。そして右手で書類にサイン。

それは、実際のところ2分足らずのこできごとでした。

さて…。

これは、後で調べて判明したのですが、実は、その薬こそ、2005年10月にやっと日本で認可されたt-PAという薬剤で、現時点で考えうるもっとも望ましい治療なのに、難しい条件が重なっているために、使えれば幸運というシロモノだったのです。

何せ、症状発生(が疑われる最も早い時間)から、遅くとも2時間以内に、数少ないt-PAの要件を満たす病院に搬送され、そこからMRIやCTや同意の取り付けを含む治療開始までの全工程を1時間以内に済ませ、やっと治療開始の条件が整うという難しさなのです。

その条件があるため、新規発生脳梗塞患者数に対し、日本における平成20年度のt-PA使用率は、実に患者全体の1〜2%という低さです。

脳梗塞は、ざっくりと人口10万人あたり100-200人―ただし、40歳以上の人口比では10万人あたり600人前後で、40歳以下の患者は相当に少ないはずですが―また、別の統計で、人口10万人当たりに対するt-PAの受け皿状況は、日本全国で3.1人、東京では2.7人とあります。

つまり、少なくとも東京では100人〜200人の新規脳梗塞発生患者のうち、2.7人だけがこの薬剤の恩恵を受け、そのうちの38%だけが3ヶ月後に介護なしの日常生活に復帰することが可能ということになるのです。普通に考えると、絶望的な数値でした。

そして、9時数分…かなりあわただしい雰囲気に取り囲まれるなか院内を移動。

MRIやCTの装置をじっくり観察する間もなく検査は終了し、10時前には、ICU(集中治療室)に搬送され、酸素マスク+ごっつい点滴の管が身体につながれt-PAの投与がはじまりました。

なお、この前後1時間は、症状が悪化していたようで、私自身、断片的で曖昧な記憶しかなく、時計を見た記憶もありません。

 10:15 嫁のNAZOOがICUに到着。

嫁によると、到着して、集中治療室に入る前、私の症状についての説明を受けたそうですガ、たまたま、「半側無視」の症状をよく知っていたため説明が短く済み、すぐに集中治療室に入ることができたとのこと。

幸いにも、嫁が入室したタイミングは、丁度、t-PAの最初の投与が終わり、私に明白な改善が出てきたところでした。何しろ、嫁が入室してきたので、さっそく話かけたところ、ほぼ正常な発音でしゃべることができたほどです。発症以来で初の普通発音でした。

さらに、左半身もそこそこと動くようになり、意識も完全に覚醒していました。t-PAの投与によって着実に良くなってきたことが、誰の目にも明らかになり、医師も安心…のはずが、事態は急変。

私は相変わらず冷静で、意識はクリアながら、確実に悪くなっていきました。

意識が混濁しかけていく感じ、意識が曖昧な状態に戻りゆく曇った心…。
 
このときこそが、一連の出来事において、唯一、恐怖と絶望を感じた数秒でした。

頭に霞がかかったような感じが再来し、しゃべってみようにも、またもや、完全にろれつがまわらない状態。

それでも、無駄な冷静さが共存していた私は、とりあえず「あ…まらです。さっきみらいにわるくなってひまひた(あ、またです。さっきみたいに悪くなってきました)」と医師に申告しました。

このとき、横でそれを見ていた嫁だけは、それまでの私と同様の冷静さを保っていました。

嫁は入室前に「年齢から考えると相当な重症です。原因がわからないため、どのようにしていくかは、これからですが、良くなった場合でも、リハビリしながら様子を見ていくしかありません・・・」といった、期待感が薄い説明を受けたこともあり、すでにいろいろ覚悟はしていたそうです。

実際に、私の症状が再び悪化する直前まで、嫁は嫁なりに自身の気持ちを確認し、すでに事態を受け入れている、という話をしていたところでした。

「麻痺があろうがなんであろうが、心や知性、人格が、いままでと同様に残っているならば、いつも一緒にいるということに、今との違いはないでしょう?」

「ふだんから出歩かないし、引きこもることになるとしても、思い返せば、これまでもそういう時間ばかり過ごしてきた。なにより、この人と一緒に生きていくという想いには影響はない」

私の症状の悪化は、そんなことを話していたタイミングでのことでした。

そして、嫁の覚悟は本物だったのでしょう。なぜなら、まさに目の前で、私の事態の急変を前にしても、少なからず驚きはしたけれど、若くて健康だったからコミュケーション不能な事態まではならないと思うし、投薬もまだ半分なので、全て投薬し終わるのを待とうという思いで、比較的冷静に見守っていたと、後に語っています。

ちなみに、私には自覚がありませんでしたが、嫁によると、悪化したとき、明らかに見た目に変化があり、目がどよんとして、みるみる虚ろになっていったとか。

そのように、事態が悪化するなかで、医師が、私の両目の外側に両手の指を出し、見ることができるか質問してきました。

すると、右は見ることができるのに、視線を左側に動かせません…。これもまた、半側無視の症状とのことでしたが、私としては、左側無視ではなく、視線の制御が随意的にできないだけで、もし首を回すことができれば、現在の左側の世界を見られることは理解していました。

そのため、鏡失認や花の絵を半分しか描かないなどの、高次機能含みの半側無視ではないと考えていましたが、そうこう思っているうちに、さらなる悪化が進みICU内があわただしくなりました。

いよいよ女医も他の二人の医師(研修医の男の子と、神経内科のTOP椎野先生)に、皮質性の出血かもしれないという懸念を表明。

そう…。

なにせ、6%という、さほど低くない可能性で脳出血が起こり、「死」か「重篤な障害が回復できないほど悪化する事態」のいずれかに迎うリスクがある・・・私は、そこに思いいたるも、またもや不思議とあわてませんでした。妙な冷静さが印象的でした。

怖いと思ったのは、再び悪化していく最中の一瞬のみで、私は、なるようになるさ、と想うようになっていました。自分の意識が曖昧になる感覚がいったりきったりしていたなかでのことです。

そして、症状を確認するため、ICUからMRIの検査室まで再び搬送されました。

その最中、先生が比類なき真剣さで「若島さん!しっかりして!!!!」と何度も呼び掛けており、その無視できない真剣さは、信頼を生むのと共に、私の意識をたびたび覚醒状態にとどめさせ、維持させる効果があったことを覚えています。

こういうのは、非合理に感じますが、確かに、患者側に前向きな意思があれば、呼びかけには凄い意味があるということを強烈に実感したものです。これ本当。

そんな具合で、悪化した症状のままMRIでの検査が終わり、あわただしくICUに戻る・・・。

 11:00くらい…。母も到着して、心配そうな顔。

t-PAの残量の投薬が終わり、別の点滴がいくつか装着される頃、またもや、私は急激に回復し、持ち直していました。

意識が明瞭だった私は、相変わらず冷静で「こりゃ右脳が完全に壊死しまくって、いよいよ左脳型人間になってしまうぜ…」などと、不謹慎なジョークを思いついたりしましたが、嫁にしか通じないであろうことから、冗談として発言することはせず断念しました。

かようなわけでICUでt-PA投与中に、症状が悪化したけれど、幸いにして、超残念賞を引き当てた脳内出血ではなく、単に症状の回帰性を見せただけだったようです。

だいぶ状態は回復。

もちろん、半身麻痺を含む相当な重症だったこともあり、良くなったといっても、口を「い〜」と開くと左側があまり動かず、左足の感覚も鈍く、針でつつかれてもよくわからなかったりしました。目を閉じて鼻を触ると、相変わらず空振りです。

発音の回復だけは早く「るりもはりも照らせばひかる」などの発音テストは、いち早くもとに戻り、先生も感心していた。コールセンター経験が長いおかげかもsれいません。

ここで、主治医の女医、神経内科の長である椎野先生、研修医の服部君と、母・嫁と私でいろいろお話。糖尿病や心臓の疾患から、両親が近親相姦でないかなど、いろいろとヒアリングを受けるが、一切、該当なしでした。

搬送されたときの姿は、若いのに見たことがないほど重症で、かなり異例だったそうです。

2度のMRIとCTの結果を評価しても、原因不明としか云いようが無く、いまは安定しているので、ひと安心ですけども、予後はなんともいえないのです、とのこと。
 
ここで、重鎮の椎野先生が、患者当人の前だというのに、私の皮膚を点検し「特殊な皮膚病で、頚動脈が裂けている症例があり、その可能性も疑っている」などと不穏なことを言う。

それを聞いて、私と嫁よりも研修医の子と母だけが狼狽していました。

続けて、病院のリハビリ担当医が入室し、とりあえず現在の私の状態を確認のうえ、症状が重かったこともあり、これからはリハビリが大変だけれど、がんばりましょう、と発言。

いよいよ、自分がそういう事態なのかと自覚しました。

午後、私の身体も相当に疲弊しているのか、眠くなり、長時間の熟睡…

途中で、先生が何度か来て、機能の確認をしていきましたが、どうやら初日の夕方、私の身体機能が奇跡的なレベルで回復していることがわかりました。

救急車から何度もやっている知覚のテストはNISSという採点式のテストで、点が高いほど重症。そして私は、当日のうちに、合計でかろうじて1点という状態にまで回復しました。この成績は、左足の感覚などいくつか鈍いところがある、という程度で、それ以外は健常者という数値です。
 
翌日

二日目もICUで安静。確実に身体が良くなっている実感はありましたが、この日も大部分は睡眠で、相当長いこと寝ていました。

3日目朝:1月22日

 本来、t-PA投与の場合、数日のICU入院が指針に書かれているけれど、集中治療室に入れておくには健康過ぎるということで、異例にも一般病棟へ移動することになりました。

主治医がいうには、信じがたいほど早く回復しているとのことで、例のテストも遂に0点続きという具合で問題なし。おかゆの食事も始まりました。

4日目 

リハビリ担当医が今後のリハビリプランを検討しに病室へ来訪しましたが、思いのほか良くなっているので、様子見してから、また来るとのこと。

主治医は、驚きの回復を見せてはいるが、原因がわからないので、これから検査などして原因を突き止める必要があり、様子を見ていくとのことでした。

所見として、血液検査やMRI・CTやもろもろの検査から、現段階で言えることは、隅々まで完全に健康だということで、だからこそ、逆に原因がわからなくて困惑している。せいぜい、血管が少しだけ細いかもしれないことと、血圧が低いことくらいが目につく程度とのことです。原因不明。

ともあれ、空腹なので間食を希望すると、OKとのこと。

麻痺の影響で、飲み込むときに肺に入ってしまう危険性が懸念されるものの、この調子なら大丈夫でしょう、が、気をつけてね、とのことでした。

5日目

 左足の感覚も正常になり、全てのテストに対して健常者の成績が出ました。

私は、自分が元気すぎるので病院内を出歩きたいと言い出しましたが、あんた4日前に半身麻痺の脳梗塞で倒れたのに無茶をいうなということで、却下されました。

6日目:1月25日

 リハビリ担当医が再訪。

ポカーンとした後、気まずそうに「えーっと・・・・。いちおう設備はあるんですが、えー・・・あとやるとしたら、筋トレとかスポーツ選手用のメニューになってくるんですが、、、いや、それはいらないですね。えっと、リハビリは必要ないみたいです・・・ね」とのことで、リハビリは不要になりました。

この日、早くも移動式の点滴を外す許可が出て、食事は既に普通食です。

7日目

 主治医に1Fのコンビニに行ったり、うろついてもてもいいか?と要望し…いったんは却下さるも、数時間後に看護婦経由で許可が出ました。「一瞬でもふらついたらすぐに院内の緊急ボタンをおすこと」が条件でしたが、みるみる元気になり、暴飲暴食が始まりました。

また、リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(余剰次元理論の話)や、漫画『チェーザレ』やら、とにかく熱心な読書を再開しました。

この日は、久しぶりにボスの椎野先生の回診がありました。

原因がわからないので、これからさらに検査していきますが、それにあたって、いくつか教えて欲しいことがあるとのことで、面談室に来てくれとのこと。

移動。

ベッドから面談室への移動の際、先生は、先に行っているつもりだったようでしたが、私が背後1mくらいを、ずっとついてきていたことに気がつくと、先生はかなり驚いた様子で、うわっ!えええ、、、凄い全く普通になっていますねぇ!と驚嘆。

そして面談。

ここで、コカインの経験や、性病の可能性など、聞きにくいことを質問されました。

昔、中毒にはならない頻度と量で、定期的に覚醒剤を肺粘膜から摂取していたことや、大麻、ケミカル、きのこの経験があるけれど、この1年は完全に遠ざかっていること、コカインは人生で2度しかないことを白状しました。

余談ですが、後に先生が欧米の事例を調べた結果、覚せい剤乱用者でもごくマレにあるそうですが、それはほぼ例外で、やはりコカイン乱用者に非常に多く、実際に、その事例は日本でもたまにあるとのことでした。私はコカインを乱用できるほど金持ちではありませんでした。
 
8日目:1月27日

 嫁にノートパソコンを持ってきてもらったので、NETに接続できないながら、1年近く前から着実に進めてきた「懐疑論者の祈り」全コンテンツ書き直し+新コンテンツ執筆の作業を再開。

10日目:1月29日 

外出許可を申請するが、さすがにそれは論外だと却下されました。
 
ただ、私の治療は、初日に機能回復のレベルでは、完全に終わってしまい3日目には呆れるほど元に戻っていました。そのため、これから、いくつかの検査と飲み薬ワーファリンの効果を血液検査で確認し、安定したら退院の予定ですと、初の退院のほのめかし。

1月31日

 外出許可が出て、mixiに日記を書く。家でまったりして病院へ帰りました。

2月

 いよいよ原因がわからないまま、私は入院中なのに外出したり、文章書いたり、本読んだり、嫁とおしゃべりしたり、のんびりライフを堪能するありさまです。

1日入院を伸ばすごとに保険が2万円入るため、入院は伸びてもいいという意向を病院に伝えましたが、私は元気いっぱいです。

唯一の問題は、原因がわからないことです。

急性の脳梗塞で、相当に深刻な症状が出たことから、病院側としてもなんとか解明したいとのことでしたし、私も、原因ががわからないという状態は、かなりの不安があるので、どこか安心しきれないところがあります。

そこで、大ベテランの椎野先生自ら、非常にレアなケースまで含め文献などあたったようで、眼科での特殊な問題の検査や、専門医による頚動脈のスキャン、造影剤を投入してのMRI、日本に3台しかない最新のCTなどを駆使して検査しまくるも・・・・原因不明。

何かの理由で右の頚動脈が攣縮(れんしゅく)し、現在は正常になっているということだけしか判りませんでした。

私の症状が専門的にどの種別になるのかというと、どうやら心原性脳梗塞と頚動脈の解離性脳梗塞は否定されているそうで、かといって他の分類にも当てはまらず、私のケースは「例外」に分類される脳梗塞になるとのことでした。

なので、これからはワーファリンを飲みながら、たまに病院に来てもらい、再発の徴候があったら「逓信病院」がかかりつけ病院であることを伝え、搬送してもらうように、とのことで、2月6日、ついに退院したのでした。めでたしめでたし。

それにしても、本当に幸運でした。

半身麻痺の脳梗塞で倒れたというのに、医学的な診断では、初日にNISSが1点になるほど回復し、リハビリさえ不要な回復を遂げ、症例でいうと数えるほどの件数という異例の展開です。

NISSが5点〜15点の重い脳梗塞を東京で発症した場合、t-PAの投与が可能で、かつ3ヶ月以内に後遺症なしでの日常生活に戻れる割合は…
 
単純計算では絶望的な数字の0.13%〜0.067%に過ぎないのです。

要するに、1000人の重篤な新規脳梗塞患者に一人いるか二人いるかという頻度なのです。

その希少なグループのなかで、さらにリハビリなしで後遺症皆無の完全回復にいたった事例となると、もう数がない(だけでなく意味がないからというのもあって)データが集まらないほど希少で、これは、まさに奇跡的な幸運といえましょう。

私は、このような幸運に、何者に対してでもない無垢なる感謝の念を抱きました。

もちろん、守護霊だの神だのには一切感謝しません。なぜなら私が私の責任を自覚して選んだ今だからです。

結果として、入院中の収入も仕事も失い、いろいろ厳しい状況にはなりましたが、健康を取り戻したのだから、これ以上のことは望むべくもありません。

それにしても、この僥倖の原因はなんだったのでしょうか?

まあ、これはどう考えても懐疑主義のおかげでしょう。間違いないです。

だから、懐疑論者って、ほんっとお得ですね。もう懐疑主義のない生活なんて考えられませんよ。
  
おしまい

 
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