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昔から凶悪な少年犯罪はあったんだ論
Juvenile delinquency that did not increase recently

 

 
 

 どうにもこうにも私は、

 最近の○○は〜××だ
 近頃○○が多いこれは××だろうか

 的な論調の多くが、酷く気に入らない。

 典型は自然災害。
 二回くらい大きい災害があると「最近おかしい」ということになりがちだ。続けて反射的に「人々が便利さと科学を追求していったことが、地球環境を狂わし、いちばん大事なものを失ってしまったんだ」とか主張してしまう。
 その手の主張を安易に行う連中が、「増えた」と主張できるほど自然災害の頻度について情報を集めたのかと問えば、まぁワカシム君がゴキブリの半径1m以内でくつろいでいる事態ほどありえない。こういった連中にとって、自分の認知が妥当であるかは無関心なことなのだ。その立場にいることが知的な意味で楽チンであって、居心地が良いだけの怠惰なものであることは自明であろう。レアな事象A、Bが短期間に起きれば、その事象が「最近増えた」と考えるのは、人間の自然な認知機能でありながら、代表的な認知的誤謬の一つであるだろう。

 それはさておき自然災害と並ぶもう一つの典型は、少年犯罪だ。

 前に古本屋でみつけた昭和51年の少年犯罪についての考察も 「最近、理由のない少年犯罪が増えている。」「少年犯罪が凶悪になっている」と主張し、未来を案じていた。
 おそらく、いつの時代も「最近の若者」は、オカシイ、ワケガワカラナイ、そして「おかしな事件が増えている」と評価されるのだろう。
 
こういうことを指摘したときに「少年犯罪は問題ない。」「案じる必要もない。」と主張しているかのように受け取られ、凄く不快な思いをさせれたことが2回ほどあるが、これも典型的な認知的誤謬でありお約束と化している。
 私は別にニヒリストでも邪悪なものを賛美する者でもないし、そのようなことは思わない。本気で問題意識を持つならば、誤った認識を問題の核にするのはおかしい、と主張しているだけである。そういうわけで、安直な議論を展開する連中には、強い嫌悪を抱くし不健全だと思っている。

 そんな前置きをしつつ、凶悪で理不尽な少年犯罪について。

 実際のところ、少年犯罪は、増えるどころか激減している。そのことは、世間的にはあまり知られていないかもしれないが、一部にはとても有名な事実だ。

こちらのデータは有無を言わせない説得力を持っている。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html

すると、「最近の少年は凶悪だ!派」の人々は次のような釈明を行う。

 つまり、
増えているのは「まともな理由も、考慮できる事情もない残虐な凶悪犯罪」「沸点が低いキレやすいガキの犯罪」である、とのたまうのだ。
サカキバラとか、先生を刺す14歳とか。

 おやおや、数字は減っているが「悪質」というフィルターで洗い直せば「増えている」というわけだ。これまた根拠のない「その場しのぎ仮説」だこと。

 んでも、TVやニュースでみて、たまたま最近の事件の情報が多いだけで、貴方のアンテナにひっかかっただけではないのか?と指摘してもダンマリじゃないすか奥さん。

 で、やっぱり、腐っても道徳教育、義務教育がある現代日本なんかは、昔よりもましになっていると想うのだ。

それを支持する実例になるかはさておき、次の事例達はどうなのだろうか?
 
 考えたいテーマである。


 事例集 

※あったんだ論の側にとっては、合致事例ばかりなので、引用する場合は確証バイアス注意。

1748年に起こった事件。貧民収容施設で、10歳の子供が5歳の幼児をナタで切り裂いて殺した。ベッドの数が足りないため、彼らはひとつのベッドに寝かせられていた。殺害の原因は、5歳の幼児がおねしょをしたからだった。
 
1778年に起こった事件。8〜10歳の3人の少女が、3歳の幼児の体内に「先にピンを取り付けた棒」を押し込んだ。幼児の陰部はずたずたになり、壊疽を起こして数日後、死亡した。
 
1854年に起こった事件。叔母に預けられていた10歳の少女が、叔母の赤ん坊の喉を切り裂いて殺した。少女は当初「見知らぬ男がやって来て赤ちゃんを殺した」と言い張ったが、周囲は信じなかった。

1861年に起こった事件。2人の8歳の少年が、2歳の幼児を誘拐して連れ回し、裸にして川に突き落とすと、死亡するまで棒で殴った。2人は取り調べの最中ずっと、被害者の幼児を「それ(IT)」としか表現しなかった。

1881年に起こった事件。3人の子供がいる農家で、2歳児が原因不明で溺死した。次には赤ん坊が泥の中で窒息死した。子守りの少女は、犯行を認めた。

1920年に起こった事件。7歳の少年が、飛行機のおもちゃで遊んでいる子供を見て、それを貸さないなら溺れさせてやる、と言った。子供がおもちゃを貸さなかったので、彼はほんとうに子供を運河に突き落とし、土手に這い上がろうとするたびその手を蹴りつけて落とし、溺死させた。少年は精神科に通院中だった。

1938年に起こった事件。4歳の幼児が、性的ないたずらをされて絞め殺されているのが発見された。犯人は13歳の少年で、幼児に服を脱げと言ったところ、騒がれたので殺した、と述べた。

1947年に起こった事件。乳母車に乗ったままの赤ん坊が、水のたまった穴から溺死体となって発見された。犯人は9歳の少年。彼は「僕が赤ちゃんを水の中に捨てました。理由?理由なんかなくて、ただそうしてみたかったんです」と供述した。

1948年、日本で起こった事件。16歳の少年が、近所の5歳の少女にいたずらしようとしてなじられ、かっとなって絞め殺した。それでも腹立ちがおさまらなかったので、死体を40箇所にもわたって切り刻み、背中にカタカナで「マタコロス、ナマイキナ女メ」と読めるよう切り込みを入れた。

1968年に起こった事件。生後7ヶ月の赤ん坊が、撲殺された。両目の中からは一対のイヤリングが発見された。検屍官は、4歳と3歳の兄弟の年齢がもう少し上だったら、起訴までいけただろう、と語った。

1968年に起こった事件。
 3歳の男の子がある日、防空壕に落ちて大怪我をした。この子はそのとき、上で2人の女の子と遊んでいた。11歳のメアリ・フローラ・ベルとノーマ・ベルである(2人の間に縁戚関係はない)。
 その翌日、6歳の3人の女の子の母親たちが、警察にきて言った。「うちの子が、メアリ・ベルに首を絞められた」と。
それから2日もたたないうち、4歳の男の子(マーティン・ブラウン)の死体が発見された。そのまた翌日、メアリはノーマの首を絞めているところをノーマの父親に見つかり、殴られて追い払われている。
 そして同日、近所の保育園に誰かが押し入って器物を破損していった。現場には「バカ、殺すぞ、見張ってろ」という殴り書きが残されていた。さらには「マーティン・ブラウンを殺したのはオレたち、バカ」とも。
 その4日後、メアリはブラウン家を訪ね、マーティンに会いたいと言った。ブラウン夫人が
「ごめんなさいね。マーティンは死んだのよ、会えないの」と言うと、
「知ってるわ。あたしはお棺に入った彼が見たかったの」と答えた。
 さらに2ヵ月後、3歳のブライアン・ハウが行方不明となった。捜索の最中、メアリが「空き地のブロックの中にいるかもね」と言い出した。死体はその通り、ブロックの中にあった。ブライアンは絞め殺され、脚や腹を切り刻まれていた。
 警察署に連れていかれたメアリは、まず最初に「弁護士を呼んで」と言った。そして犯行のすべてをノーマになすりつけ、詳細な説明をした。メアリはきわめて頭脳明晰だった。精神科医は彼女を「利口、戦略的、危険」と評した。
 また彼女は取り調べの最中、婦警に対してこうも言っている。
「大きくなったら看護婦になりたいわ。人に注射針が刺せるから」。
「人を傷つけるのが好きなの」。
 ノーマは無罪となり(彼女がメアリの完全な支配下にあるのは明らかだった)、メアリは施設に送られた。13歳で、彼女は担当教師に性的虐待を受けたと申し立てたが、でっちあげとして却下されている。
 メアリは20歳の時、刑務所から脱走をはかったが、3日後に発見された。しかし23歳で、仮名を与えられ、釈放された。現在彼女については報道禁止令が出されている。
 メアリ・フローラ・ベルは「驚くほど不潔な環境」で「愛情なく」育ったそうである。
 
1975年に起こった事件。13歳の少年が、近所の年配の女性を鉄パイプで殴り殺した。犯行の動機は「花火を買うお金が欲しかったから」だった。
 
1976年に起こった事件。13歳の少年が、釣りをしていた12歳の子供と仲良くなった。少年はその子を男の子と思い込んでいたが、実は女の子であった。少年は「怒りと困惑で我を忘れ」、少女を刺し、絞め殺した。
 
1978年に起こった事件。アパートで一人暮らしをしていた84歳の老女が、殴り殺されていた。逮捕された犯人は4歳と6歳の子供。彼らは普段からこの老女をいじめたり、金品をまきあげたりしていた。
 
1979年に起こった事件。9歳の少年が、生後8ヶ月になる妹を折りたたみナイフとボールペンで刺し殺した。
 
1986年に起こった事件。5歳の少女が友人と一緒に、生後3週間の赤ん坊の足を掴んでふりまわし、壁に叩きつけて殺した。

1988年に起こった事件。12歳の少年が2歳の幼児の顔を泥につけて窒息死させた。少年は模範的な少年だと周囲に思われていた。なお彼は両親が別居中だったため、被害者の家に預けられ、世話になっていた。

1992年に起こった事件。子守りをしていた11歳の少女が、赤ん坊が泣き止まないのに腹をたて、ベビーベッドの横木に叩きつけた後、鼻と口を手で押さえて窒息死させた。
 
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lkillers.htm


商業高校生の強盗殺人(昭和21年)

 私立商業高校2年生(16)は、いつもかわいがってくれる隣家の歯科医夫婦を映画見物に誘い出し、自分だけこっそり戻って歯科医宅に侵入。留守番の義母(70)を殺し、衣類30数点3万円相当を盗む。小遣い銭欲しさの犯行だったという。

教師に毒饅頭食わせ、放火(昭和23年)
 工業高校3年生(18)が、深夜、教師に実験室の毒薬を入れた饅頭を贈り、学校に放火した。学校は焼失したが、教師は毒饅頭の味がおかしいことに気づき、食べなかったため被害はなかった。
 少年は「下級生までが自分を泥棒呼ばわりしたので、学校全体が呪わしくなりやった」と供述。この少年は窃盗詐欺罪で、不起訴になったばかりだった。


隣人を青酸カリで毒殺(昭和23年)
 16歳の少年が、隣人(24)が本の間に一万円札を隠しているのを知り、中退した中学校の実験室から青酸カリを盗み、それを隣人の酒瓶に混入して殺害。犯行の動機は「洋服代が欲しかったから」。

15歳の少女、一家7人殺しをはかる(昭和23年)
 福岡市のある一家が、夕飯後に具合が悪くなり、五女(11)と、六女(6)が死亡。調べの結果、夕餉の膳に出た雑炊を口にしなかった三女(15)が、常日頃から口やかましい母親を憎んで、雑炊に亜ヒ酸を混入したことがわかった。「一家皆殺しをはかった」と自供。

弟が実姉を殺害(昭和25年)
 工員(19)が友達の工員(18)と共謀し、結婚したばかりの実姉(24)宅に侵入。強盗に見せかけようとしたが、見咎められたため姉を絞殺した。単なる物盗りが目的だった。

小遣い欲しさに三人で殺害(昭和25年)
 少年(17)が年上の女性2人と共謀し、保険勧誘員(49)を待ち伏せして絞殺。為替と自転車を奪い、死体は川に投げ込んだ。

オー・ミステイク事件(昭和25年)
 有名な事件である。日大の運転手、山際啓之(19)は、同校の給料運搬車を呼びとめて同乗すると、運転手ら4人をナイフで脅して下車させ、現金191万円と車を奪って逃走。2日後、同大教授の娘(18)と同棲しているところを逮捕された。
 山際は非常なアメリカかぶれで、任意同行を求められた際に「オー・ミステイク」と発言したため、この台詞が流行語となった。動機は、駆け落ちのための資金欲しさだったという。

17歳少年、一家皆殺しはかる(昭和26年)
 旋盤工(17)は金欲しさから、新築したばかりで金のありそうな家に狙いをつけ、井戸に青酸カリを投げ入れた。しかし一家は水の色がおかしいことに気づき、飲まなかったため無事だった。

10歳の少年、14歳少年を殺す(昭和26年)
 ささいなことで口論となり、近所の中学2年生を、ナイフで刺殺。ナイフの刃は心臓に突き刺さっていた。

小学生4人、連続放火(昭和26年)
 テストの点が悪かったことを恨みに思い、4人で共謀して小学校に放火。また、窃盗の常習犯でもあり、犯行がばれないよう民家などにも放火6件をはたらいた。

注意され、かっとなって他校生殺害(昭和26年)
 高校同士の合同体育祭の日、野球部員(17)が校舎を歩きまわっていたところ、当高校の女生徒から「他校生は入らないで下さい」と注意され、かっとなってバットで殴殺。死体は掃除用具入れに押し込めて隠した。

小5少女、窃盗の上、放火(昭和26年)
 友達の家が留守なのを知り、学校を休んで家宅侵入。ハンドバッグなどを盗み、犯行をくらますため放火して全焼させる。その足で繁華街へ行き、万引きしたため補導され、犯行が明るみに出た。

拳銃欲しさに巡査を殺す(昭和27年)
 夜間部高校生(19)と無職少年(19)の2人は、当時連続して起こったギャング事件に刺激され、拳銃を強奪しようと交番を襲撃。巡査をめった打ちにして殺す。

三角関係で殺人事件(昭和27年)
 夜間部高校生(18)が1学年下の女生徒をめぐり、同級生と口論。道端の石で殴殺する。

麻薬中毒少年たちの殺人(昭和29年)
 人夫(20)と、19歳の少年2人、18歳の少年の計4人は、映画帰りの少年(19)にいいがかりをつけ、殴殺。死体から身ぐるみをはいで質入れし、遊興費に使う。4人共に、ヒロポン中毒者であった。

病気の実母を殺害(昭和29年)
 無職三男(18)が、遊びの金欲しさに父親の金を盗んでいたことを母に見咎められ、絞殺。母は中風の持病があったため、以前にも倒れたことがあった便所に死体を運び入れて病死に偽装した。その際、母のポケットから300円を奪い、父の洋服を盗んで逃走。

17歳の通り魔(昭和30年)
 17歳の少年が、自転車に乗って、すれ違いざまに通行人をキリで刺していくという犯行を繰り返した。判明しただけで9件。

恋人を次々殺し、埋める(昭和30年)
 タクシー運転手(19)は、「うるさくつきまとう」と、交際相手の18歳の少女を殺して防空壕跡に埋めた。また7ヶ月後には、新たな交際相手であった16歳の少女を殺害し、同じ場所に埋めた。

19歳の少女、家族4人を毒殺(昭和31年)
 友人宅のカメラを盗んだのが母親にばれてヤケをおこし、「こんなつまらない家にいるよりは恋人(28)と暮らしたい」と思った長女(19)が、青酸カリ入りジュースを母と弟3人に飲ませ殺害。
 恋人はつねづね「扶養家族の多い家はいやだ」と言っていたため、大勢の家族は結婚の邪魔になると思っていたらしい。なお父親はすでに他界し、母親の稼ぎで生活していた一家であった。

外国人夫妻、殺害(昭和32年)
 無職少年(16)は、父親と衝突することが多く、家出。関西に行く金を作るため、会社社長米人ブース氏宅に侵入。夫妻に見つかり、台所の肉切り包丁で2人を刺殺した。貴金属と、現金6500円を奪って逃走。

店員少年、継母を刺殺(昭和32年)
 家族が多く生活が苦しいのは継母のせいだと思い込み、刺殺。実母は10年前に別居していた。

8歳の連続放火魔(昭和32年)
 小3(8)が、自転車に乗って、わずか30分の間に6件の放火を起こした。翌日は2件。好奇心からの犯行で、家庭に問題はなく成績も優秀だったという。

優等生少年、ライバルを殺す(昭和35年)
 中学生の少年(13)は、同級生の少女が日頃から自分を良く思っていないらしいことや、最近成績が上がったことを恨んでバットで撲殺し、井戸に投げ込む。少年はつねにトップクラスの成績だった。

14歳の少年、父を毒殺(昭和35年)
 素行のことでひどく叱られたことを根に持ち、野犬狩りの毒薬をウイスキーに仕込んで、父を毒殺したもの。

お礼欲しさに幼女を殺す(昭和35年)
 防火用水で溺れかけていた2歳の子供を発見して母親に知らせ、お礼に200円とノートをもらった6歳と7歳の小学生。また同じことが起こればお礼がもらえると思い、2歳5ヶ月の幼女を突き落とし、溺死させる。

『風流夢譚』事件(昭和36年)
 中央公論社長・嶋中邸に「雑誌中央公論に掲載した、『風流夢譚』はけしからぬ」と、元大日本愛国党員(17)が押しかけ、家政婦を刺殺。社長夫人に重傷を負わせる。

警官とタクシー運転手殺害(昭和36年)
 少年(19)が、勤務中の警官を青酸カリ入りジュースで毒殺し、拳銃と制服を奪う。逃走中、タクシーの運転手に怪しまれ、銃殺。動機は「ピストル強盗をしようと思って」。

中2少年、女性2人を殺害(昭和37年)
 若妻(21)を、傘で下腹部を刺し殺す。翌月には、通り魔的に女店員(21)を刺殺。成績が悪く、孤独な少年だったという。

いたずら常習少年、主婦を刺殺(昭和37年)
 民家に押し入り、主婦にいたずらして殺害。少年(15)は、性的いたずらの常習者で鑑別所を出所したばかりだった。

告げ口恨み、毒殺(昭和37年)
 中2(13)の少年が、金を拾ったのを親に告げ口されたことを恨みに思い、友人宅の玄関に、農薬入り乳酸飲料を置く。長男(10)と次男(8)が飲み、長男は死亡、次男は重体。

ライシャワー米大使刺傷事件(昭和39年)
 大使館前から車に乗ろうとした大使を、少年(19)がナイフで刺す。大使は重傷。動機は「日本が悪くなったのは、アメリカが入ってきてからの教育方針が悪いためだ」と盲信したためだった。

模範家庭内の殺人(昭和39年)
 名門高校2年の弟(16)が、同校に通う兄(18)に、鉈で滅多打ちにされ殺される。日頃から弟の発言力が強く、兄の威信を取り戻そうとしての犯行だったという。父親は大学教授、母親は女性検事第一号という、エリート中のエリート家庭での惨劇だった。

少年ライフル魔事件(昭和40年)
 ガンマニアの少年、片桐操(18)が、山道をライフル銃を携帯して歩いているところを警察に呼びとめられ、発砲。警官2人のうち1人が死亡した。片桐は警官の制服を奪い、銃を突きつけるなどして走行中の車を止め、乗りついで銃砲店に向かった。
 店員3人を人質に、片桐は5000人の警官隊相手に市街戦を行なった。この銃撃戦において、警官や市民ら16人が重軽傷を負う。
 片桐は「今までたまっていた鬱憤をすべて吐き出したような気持ちだった。刑務所に行くくらいならベトナムへ行って、好きな銃を撃ちまくりたい」と供述。地裁では無期懲役の判決だったが、高裁・最高裁で死刑判決。昭和47年に刑が執行された。

中2少年、主婦を殺害(昭和40年)
 自宅に訪ねてきた近所の主婦(40)の首を絞め、仮死状態にして強姦。そのあともう一度首を絞め、死に至らしめた。死体を押入れに隠しておいたところを家人に発見され、犯行が発覚したが、本人は推理小説から書き写した「完全犯罪メモ」を作り、「死体はバラバラにしてコンクリートで固め、川に捨てる」と計画していた。

混血少年連続殺人事件(昭和42年)
 留守番中の女性(25)が強姦ののち惨殺され、金を奪われた事件を調べた結果、2年前に起こった若妻強盗強姦事件、主婦強盗強姦事件他、数件と同一犯の犯行と判明し、元自動車工の混血少年(16)が逮捕される。他に、30万円余の窃盗も発覚した。

車ではねた女性を乱暴し、殺害(昭和43年)
 19歳の少年が、会社のライトバンで女性(21)を故意にはね、病院に運ぶふりをして空き地に連れ込み、暴行した上絞殺。また、短期間のうちに5人の女性を襲い、うち3人に怪我を負わせていた。逮捕後、他に窃盗と放火も自供。

小5少女、赤ん坊を殺害(昭和43年)
 少女(10)が、わずか5ヶ月の赤ん坊をマンホールに捨て、殺害。動機は、この赤ん坊の兄(2)の眉毛をいたずらで切ったところ、叱られたのを逆恨みしてのことだった。

永山則夫事件(昭和43年)
 極貧で育ち、集団就職で上京するが、夢破れた永山則夫(19)は、米軍基地から盗んだ銃で、1ヶ月のうちに4人を射殺した。東京・京都では警備員とガードマンが殺され、函館・名古屋ではタクシー運転手が殺されて金を奪われている。
 法廷で彼は「こんな事件が起きたのは、俺が無知だったから、貧乏だったからだ。資本主義社会が憎い」と叫んだ。
 獄中で彼は執筆活動に入り、『無知の涙』など数冊を発表。その中の一冊『木橋』は、新日本文学賞を受賞した。平成9年、死刑執行。

同級生の首を切断(昭和44年)
 高校1年の少年(15)が、学校近くの畑で、同じ寮に住む同級生をナイフで刺し殺し、首を切断した。当初、「自分も一緒に見知らぬ男に襲われた」と、自ら肩を傷つけて偽装。
 動機は、「時々しつこい悪ふざけをされたため」だという。「刺したときは殺すつもりはなかったが、自分がやったとわかってしまうのが怖かった」。

両親を殺して捨てる(昭和44年)
 次男の左官(19)が、両親を角材で殴殺。日頃から「怠け者」と罵る父親に反感を抱いていた。母親を殺したのは、その日仕事から帰ってきたとき、まだ夕飯の支度ができていなかったため。殺害後、死体を約100メートル離れたゴミ捨て場に遺棄した。

小学生、集団リンチで死亡(昭和44年)
 被害者は小2(8)。友達と遊んで衣服を汚したこの子供は、母親に叱られるのが怖さに、「友達に突き落とされた」と嘘をついた。これを真に受けた母親が友達の家に文句を言いに行ったため、それぞれの母親から怒られた5人の友達が、怒って全員でこの子を殴った。
 少年は脳内出血と肋骨骨折で死亡した。

中3少年、幼児2人を殺傷(昭和45年)
 ふざけて道で通せんぼしていた2人の子供(4歳・5歳)に腹を立て、いったんは別の道に行きかけたものの、わざわざ引き返して彫刻刀で刺したもの。「気がむしゃくしゃしたし、小刀の切れ味を試したかった」

小1少年2人が、4歳の幼児を殺す(昭和46年)
 「キック・ボクシング遊び」と称して顔を殴り、逃げると裸にして田圃の側溝に落とす。さらに手足を押さえつけたところ、ぐったりして動かなくなったので、驚いて逃走したという。

小5少年が、幼児を殺害(昭和47年)
 保育園で一緒に遊んでいて、砂をかけられ腹を立てたため、近くのマンション屋上に連れて行って7,8回殴り帰宅。ふたたび屋上に行くとまだ子供がいたので、「帰れ」と言うと、泣き出したので、服を脱がせ、さらに殴ると動かなくなった。
 加害者の少年はいつも1人でおり、前月にも、連れていた園児をプールに投げ込むという事件を起こしている。

中3少女、養父母を殺害(昭和48年)
 家出したことを叱られ、かっとなって養父母の全身をそれぞれ十数箇所、滅多刺しにして殺害。
「家出のたびに怒鳴られ、父にはぶたれ、母には小言を言われて憎かった。どちらかを消せば自由になれると思った」と供述。この少女は、養母の姪であった。

恋のもつれから刺殺(昭和48年)
 高校1年の少年(15)が、ガールフレンドの奪い合いから、親友を刺殺。全身44箇所を滅多刺しにした。この事件から4ヵ月後、別件の窃盗で捕まり、犯行を自供。少年の母親は事件を苦に自殺した。

中3少年、5歳の幼女を殺す(昭和49年)
 留守番中の少年(14)が、自宅に遊びに来た近所の女の子(5)をいたずらし、親への告げ口を恐れて絞殺。裏庭のダンボール箱の中に遺棄した。

小5少年、女性を殺害(昭和50年)
 叔母を訪ねた少年(11)が、同じアパートに住む女性(29)が外出するのを見て、侵入。だが彼女が戻ってきたために、台所の包丁で刺殺した。

中3、OLを殺害(昭和51年)
 帰宅途中の女性会社員(23)の首を絞め、殴殺したのち暴行。そののち現金を奪う。

予備校生、少女を殺害(昭和51年)
 少年(19)が、小2の少女(8)を尾行し、人気のない道にさしかかったところで、手で口をふさいで気絶させた。注射器で空気を注射したのち、暴行。最後にブラウスの襟で絞殺した。

小6、小2の少女を殺す(昭和52年)
 小6少年(12)は、学校帰りの少女(8)を乱暴しようと藪の中に連れ込んだが、大声を出されたためベルトで絞殺。4歳のとき両親が離婚し、家庭に恵まれていなかった。

5歳の子供が弟を殺す(昭和52年)
 母親の留守中、生まれたばかりの弟に布団をかけて窒息死させた。「泣きやまなくてうるさかったから。赤ちゃんはちっともかわいくない」と供述。

中学生が友達を殺害(昭和53年)
 級友宅に泊まり、飲酒喫煙しながら麻雀をしていた中3少年6人のうち2人(14歳・15歳)が、仲間の寝込みを襲い、包丁と木刀で1人を殺害、2人を重体にした。「使い走りにされ、いいように扱われたので、仕返ししたかった」

浮浪者狩り(昭和57年)
 16歳から14歳の少年10人が、「風太郎狩りゲーム」として、公園などで寝泊りしている浮浪者を襲撃することを繰り返していた。その犯行で、浮浪者1人が内臓破裂で死亡。少年たちは翌週逮捕された。逮捕後も「乞食が死んだくらいでなぜそんなに騒ぐのか」、「乞食なんて生きていたってしょうがないでしょう」と発言した。いずれも、家庭環境に恵まれていなかったという。


参考情報
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/jsyouwa.htm

http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/juvenile.htm

 というわけで、昔からわけのわからない残虐な少年犯罪は普通に存在していたのである。


 
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