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アウグスティヌスの金言
Aurelius Augustinus's maxim



 マーチン・ガードナーが引用していたことで、私は知ったのだが、結構気になっていたものの出所がわからない話があった。

どんな話かというと、教会史上で最も偉大な神父と呼ばれる聖アウグスティヌスの言葉で、要約すると、いまでいう科学的知識の範囲の話題について「自分たちよりも詳しい異教徒がいて、彼らが述べていることに対し、聖書の記述と異なるといって的外れな批判をし、彼らから笑われてしまうような事態は、恥ずべきことであり、あってはならない」という内容の話。

長いこと出典が判らなかったのだが、ついにオリジナルを見つけたのである。予想通りといえば予想通り、「創世記逐語注解」だった。1巻19章。 

それは、まさに金言と呼ぶに相応しい文章であったので、以下に紹介しよう。

「 地のことについて、天空のことについて、星辰の運動や回転あるいはさらにその大きさや距離についてさえも、また太陽や月の蝕について、年月や季節の周期について、動物や植物や石やその類の他のものの本性について、キリスト者でない人が、きわめて確実な理性と経験によって支持された知識を持っていることがしばしばである。

キリスト者がこうした事柄について、いわば聖書に基づいて語ると言いながら戯言を語るのを他の人が聞き、天地の相違(※天と地ほど違うの意)とよく言われるような誤りを犯しているのを見て取り、笑いを禁じえなくなるなどというのは、きわめて見苦しいことであり、有害であり、つとめて避けるべきことである。

  略

軽率な自惚屋がどれほどの煩わしく、みじめな思いを、思慮ある同信の兄弟に与えることになるかは、十分言葉に尽くせないほどである。

というのも彼らの歪んで誤った意見が、われわれの聖書の権威を信じない人々によって批難され、正され始めると、彼らは浮ついた軽率さで語ったことや明白な誤りを擁護するために、自分の説の拠り所とした同じ聖書を引きあいに出そうとしたり、証言として通用すると考える聖書の多くの箇所から、記憶を頼りにして言葉を寄せ集めて語りだすことさえする始末である。 」

アウグスティヌス著 片柳 栄一訳  『創世記逐語注解』1巻19章

このように、「創造科学みたいなことは絶対やめてくれ!」と、そのまま主張しているのである。

実に素晴らしいと思うのだが、しかしながら、ちょっと気なる情報も発見した。

このトマス・アクィナスの解説によると、トマス・アクィナスが、アウグスティヌスの言葉として…

「…彼は『創世記逐語注解』第2巻74において次のように述べているからである。「真理が」開示していることは「旧約であろうと新約であろうと、聖なる書物に反することはどんな意味においてもあり」得ない」

…ええっと、全然違うこと言ってる。なんせ「創世記の創造の日を普通の1日ではない」とまで書いてるのにおかしい。けど、トマス・アクィナスといえばこれほどの人である。

なのでちょっと悩んだのであるが、あらびっくり、注釈74を読んだらこう書いてあったのだ。

「第18章、Nunc autem seruata semper moderatione piae grauitatis nihil credere de re obscura temere debemus, ne forte,quod postea ueritas patefecerit, quamuis libris sanctis siue testamenti ueteris siue noui nullo modo esse possit aduersum, tamen propter amorem nostri erroris oderimus.
アクィナスはこの文章の一部だけを取り出し、自然本性的理性によるものを含めた真理が聖書と背馳しない点だけを強調した引用になっている。だが、アウグスティヌスのこの言葉と前後の文脈は、聖書の一部だけからその箇所の意味を「軽率に」決めてしまうことを戒めているものであって、文脈は異なっている。」

なるほど…やっぱりアウグスティヌスは立派だったのである。

 

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